森下泰プロフィール3

<森下 泰>

1992年9月 湘南スポーツセンター(SSC)入社。
入ったその日に添田豪(当時小4)とスポンジボールで打つ。小さくておとなしい。しかし、ラリーでは一切ミスせず、後ろの社長や支配人たちに普通のボールでもいいですよと伝えたが、これでいいとの返事。レベルが違うのにと思いながら、ミスしなくてヒマなので、ドロップショットをやろうか?と提案。すると豪はドロップショットを知らないと言う。ならば軽く擦って落とすのを見せる。それを見ていた豪はすかさず簡単にやって見せる。その後、ロブボレーで抜いて、また、ドロップショットの連続技を見せるとそれもやってのける。しかも私より上手い。1時間半ぐらいやった後、後ろで見ていたご両親にこの子はセンスがあって全日本優勝できますよ。ジュニアではなくて。世界ランキング100位はわからないけど。と伝えると本人はテニスも好きだけどサッカーもやっていて、迷っているようです。と言う。サッカーも関東選抜らしい。できればテニスを続けて欲しいなあ。と本人やご両親に伝える。その後、テニスを選んでプロになって、グランドスラムに出場するまでになった。
日本トッププロ(杉山愛、神尾米、雉子牟田明子&直子、吉田友佳、谷澤英彦、増田健太郎、古庄大二郎etc)&トップジュニア(12歳全日本ジュニアチャンピオン竹内彩乃)のコーチ&ヒッティングパートナー
全日本選手権S1R現デ杯コーチの高田にストレート負け
Dベスト16(パートナーは大森豊。1Rインターハイ優勝岩淵組(のちの全日本SDチャンピオン、現デ杯監督)にストレート勝ち)
全日本ローン選手権SD出場

1993 日本リーグ4位
ナショナルコーチとして16歳日本男子(芳野猛・尾城祐介)アジアジュニアサーキット(スリランカ・タイ・香港)の引率
練習に寝坊して遅れたりしたので叱る。まだまだ子供。

雉子牟田明子選手のコーチとしてイタリアンオープン・ジャーマンオープン・フレンチオープン予選
イタリアンオープン
日本の他の選手がアイスクリームを食べていたら、NO1ナブラチロワが寄ってきて、「私も昔はアイスクリームが大好きだったわよ。」と言って去っていった。カッコいい〜!
雉子牟田明子選手とラリーした後、澤松奈生子選手が私も打ってもらっていいですか?と私と雉子牟田選手に聞いてきた。本当はその選手に雇われているのだから断るのが普通。雉子牟田選手はおおらかだ。澤松選手のボールはフラット、ベースラインで伸びてくる。2人ともそうだが、すごく集中しているのでこちらの簡単なミスも許してくれない。それぐらい緊張感があるのだ。
雉子牟田選手はメチャクチャドロップショットが上手い南米の選手に翻弄された。日本人の感覚にはないタッチでビックリした!
ジャーマンオープンで当時世界ランク4位の伊達公子選手も堂々の第1シードで出場。残念ながら1R敗戦。当時マスコミ嫌いで有名でしたが、「雉子牟田さん、森下さん、馬さん(SSCのコーチで私の同僚。中国のトップ選手でウインブルドンジュニアベスト8)の4人でベルリンの壁に行きませんか?」と伊達さん、自ら誘ってきた。
4人で壁を見に行って、私はその壁のカケラを買った。食事してアイスクリームを食べて、たくさん写真を撮った。皆、笑っていた。伊達さんが笑った写真はその当時、マスコミには絶対にないだろうなあ。
フレンチオープン予選は当時、本戦の会場とは別のコート。3回勝ち上がらないと会場の中に入れないのだ。この方が皆、ピリピリして緊張感がある。
ここでも残念ながら敗退。私はフレンチオープンオリジナルのTシャツが欲しかったので、ガードマンに交渉してチケットなしで入れてもらって、買ってきた。当時は今では考えられないほど緩いのだ。

吉田友佳選手のコーチとしてジャパンオープン・ニチレイオープン・札幌オープン
当時、高校3年でUSオープンジュニア準優勝の吉田友佳選手。私も海外にコーチとして行きたくて張り切って、少し飛ばしてしまったか?その時は一生懸命にやっていただけだが。札幌オープン予選で戦った後、一緒に体育館の中をランニング。試合が終わっても強くなる選手は必ず、トレーニングやランニングをしてプラスアルファをしていると伝えたかった。徐々にやれば良かったかなあ?反省、コーチも選手と同じようにこうやって勉強していく。
帰国してすぐに、神尾米選手と雉子牟田直子選手と練習していたら、右肘が痛くなって、その日に髪の毛も洗えないほどになってしまった。
あたしのクラスの竹内彩乃(中1)が全日本ジュニア12歳以下で優勝。
私がエルボーになって、左手で球出し覚えて、ストロークとサービスができるようになった。その左手で必死になって7−5とか6−7とか競っていたら、優勝。1セット終わるのに1時間半かかった。それぐらい彼女は粘り強かった。決してセンスにあふれている感じではないが、テニスノートも誰よりも書いて持ってきた。やり続ける大切さ!
その後もテニスノートを真面目に書き続けたジュニアほど強くなっていくのを目撃。

1994
山本育史(全日本2連覇)のコーチとしてUCLAオープン(ロスアンゼルス)
予選1回戦突破したが、2回戦で負け。相手の選手はセンスがある打ち方ではなく、どちらかというと独自のフォームで体力負け。終わった後、その選手はすぐにランニングしていたのにはビックリ!
一緒にツアーに来ていた辻野隆三選手がマイケル・ジョイス(1995ウインブルドン4回戦で松岡修造選手がストレート勝ち。テニスコートを走り回って寝ころんで大いに話題になった。その時の相手がマイケル・ジョイスだ。この時はその前年に当たる。)の家に行こうと言う。ついて行くと大きな家にテニスコートがついている。大金持ちだ。
専属コーチがいたが、使用人みたいな扱いだった。大きなドーベルマンもいた。
辻野選手はアメリカで練習していたから友達がたくさんいると言う。

1996 世界コーチ修行
3年半務めたSSを退社。これからコーチの勉強を海外へ回って行きます!と言ったら、ジュニアのご両親がビックリ!私が話している間にビニール袋にカンパのお金を集めてくれた。ナント30万円!?当時の給料の2倍だ!これを毎月やったら大金持ちになれるなあ!と不謹慎にも思ってしまった。

ブルネイ・インドネシアサテライト 赤堀奈緒選手
その次の週にはインドネシアへ出発。
じんましんが出てしまった。これから先のプレッシャーかと思ったが、あとで考えるとマンゴーを食べた後になったということはマンゴーアレルギーか?
べっとりする暑さ。特にブルネイはすごかった。日中は試合をせず、18時からスタート。
また、このブルネイは小さな国だが大変な大金持ち。ガソリンもガスも無料、遊園地も無料(大会側が選手やコーチたちを1日招待してくれた。こういうことはたまにある。とても楽しい!)なのだ。学生チャンピオンである赤堀選手もなかなか厳しい結果となった。

バンダミーアテニスセンター アメリカ・サウスキャロライナ
そこからFAXの返信をもらったバンダミーアテニスセンターに飛んだ。ここは当時、澤松奈生子選手がここのコーチと契約して回っていた。テニスを始めた中学生の頃、雑誌にすでにバンダミーアさんは載っていて、顔も良く知っていた。有名人である。実際はどうか?非常に興味があった。
緊張している私にバンダミーアさんはまず、一緒に大きな敷地にある何十面というテニスコートを案内してくれた。ここは一般のキャンプ、ここはジュニアのキャンプなどと。そして、ファミリーレストランに行って、何か頼みなさいと言う。ハンバーガーを頼んだ。
コーチ達の共同部屋に荷物をおいて、早速一般のレッスンに入った。その後もジュニア達のレッスンに入る。以前、アジアジュニアサーキットで引率した時に見かけたタイの可愛い女の子もいた。相当なお金持ちなのだろう。
澤松奈生子選手はいなかったが、ATPツアー選手のレッスンに入って、最後は一緒にポイントをやろうと言われた。「え〜、選手時代もこんなチャンスは来なかったよ。」ナントタイブレークマッチで勝ってしまった。80位ぐらいだぜ!修造ともやって勝ったと言っていた。貴重な体験だ。
澤松奈生子選手のコーチのリックは元オレンジボールの優勝者。賭け事が好きなヤツだ。トランプも賭けると強い。日曜日にここでマネ―トーナメントがあった。普段はのらりくらりと適当にヒットしているが、本気を出すとやはり強い。ダブルスでは吹っ飛ばされた。
一般のキャンプはバンダミーアさん自らコートに出て教える。ラケットを短く持って、ミニラリーなど不思議な超簡単で上級者にはもの足りない練習をする。しかし、バンダミーアさんが言うと皆、有無を言わせずやるしかない。そういう雰囲気があるのだ。いつも白くて大きな犬を連れている。奥さんはかなり年下だろう。
最後に一般の方達とバンダミーアさんは写真を撮る。ここで歯をしっかり見せてニコニコ顔で撮る。「これだ!このニコニコ笑顔で必ず、写真を撮る。これがすごく大事なことだ。」お客さんも喜んでいる。少しぐらいわざとらしくてもいいのだ。日本人とアメリカ人の差だなあ〜!

ブラジルサテライト 増田健太郎選手
ブラジルで増田健太郎選手と横山トレーナーと合流。
2回全日本チャンピオンなのだが、ベスト8が最高。サテライトでも厳しい。
その当時日本チャンピオンの本村剛一選手も来ていたが、同じような成績。
本村選手は私のスマッシュの連載「森キンのテニス珍道中」を1日で徹夜して、読み切って目を腫らして、「すごく面白かったです。初めて本というものを読み切りました。」と感動していた。
ブラジルの車は人よりエライ。交差点では青なのに人が渡れない。ガンガン車が通って行く。この辺りが日本と全く考えが違うのだ。
ブラジルのクレーコートは何故だか?遅く感じる。日本人のボールが飛んで行かず、外人のボールが重く感じる。見た目だが・・・。
横山トレーナーが空気を抜いたボールに砂をつめて重いメディシンボールを作って、腹筋やボール投げをして、鍛える。
2週目はアマゾン川の近くのマナウスとういう都市。増田選手の粘りも通じず、ベスト8。
少し間が空いたので3人でアマゾン川に探検ツアーに行くことになった。奥へ奥へ進んで行く。大丈夫か?テントだけの宿泊施設!?に泊る。アマゾン川でピラニア釣り。なかなか釣れないので川の中に飛び込む。こわ〜!
3週目に着いて行かず、早くから決めていたフレンチオープンの予選に行くことにした。世界のトップを早く見たいと思っていたからだ。ホテルの玄関で増田選手が「ここにいた方がいいですよ。行かない方がいいです。」と名残惜しそうに最後まで言っていたのを鮮明に覚えている。

フレンチオープン予選・本戦 取材&勉強
フレンチオープンの会場へ。予選1回戦から少しでも多く試合を見て、少しでも多くの選手を覚えようとした。最初の試合、予選1回戦なのにレベルがものすごく高い。悪いけどサテライトのレベルとはけた違い。ベースライン3m後ろからドロップショットをネットギリギリへ。それを走ってアングルスピンへ。またそれを切り返す。2人とも平然とやってのける。私はドロップを打つことは許されず、拾ってダウンザラインへスライスで押し込むことしか教えてもらわなかった。
これが予選1回戦…?この予選3回勝った相手を簡単に勝つサンプラスはどういうレベルなんだ?
このフレンチオープンの時、SSCで一緒だった神尾米選手が「この後、ウインブルドンの前からコーチとして帯同してほしい。」と言われた。嬉しくてすぐにOKの返事。姉貴にFAXしてじんましん等の薬を渡してもらうように頼んだ。ここまで7回連続1回戦負けで何か?変化を加えたいらしい。何とかしなければ。燃えてくるぞ!

ステラアートイスグランプリ 取材&勉強
私も予選に申し込みしたことのあるこの大会に行く。松岡修造選手はラフターに3−6,0−6で敗退。サービスが全く入らず、残念。唯一の武器が入らないと試合にならないなあ。

ウィルキンソンレディオープン(オランダ・ロスマレン)・ウインブルドン 神尾米選手
海より低い土地のオランダで神尾米選手と合流。ビンに入った薬をもらう時、「重かった〜」と。すみません。
オランダでは男子大会も開催していて、ウインブルドン優勝する目前のクライチェックも同じホテルに泊まっていて、隣で食事した。お〜!
1回戦の相手は地元オランダのオーレマン(当時40位)。スライスが上手く芝生に強い中堅選手だ。リターンが冴えて、相手がそれにプレッシャーを感じて固くなり、ダブルフォルトを連発。6−4で第1セットを撮る。第2セットも3−0リードしたが・・・。4−3のブレークポイントで大きなフォルトをグッドにされて、連続エース。ここから流れが変わった。
4−6,2−6の悔しい逆転負け。これで8回連続1回戦負け。しかし、調子は上向きつつあるぞ!
一緒に来ていた雉子牟田直子選手は第1シードフーバーにファイナル負け。その夜、神尾選手の知り合いの方と日本食を食べてカラオケに。直子選手の美空ひばりの「お祭りマンボ」歌はプロ級。テレビに出したら優勝だろう!こういう息抜きは選手には絶対に必要。特に負けた後の息抜きが上手く出来るかが世界ツアーを回れるか?かかっている。いかにエンジョイできるか?です。

テニスの聖地であるウインブルドンへ。神尾選手は本戦だが、試合コートは1時間しか使えない。整えたばかりの芝生は気持ちいい。アオランギの練習コートと違ってイレギュラーがない。練習後、神尾選手に断って、横に寝転んだ。横で練習風景を見ていた井上悦子さんに「森下君!」と笑いながら言われてしまった。いかん、いかん!私が浮かれてはいけない。
1回戦デッシー(フランス)は昨年フレンチオープンジュニア準優勝のこれからの選手。フォアもバックも打ってくる。神尾選手は落ち着いて、調子の上がってきたバックアングルで揺さぶる。6−2,6−3のストレート勝ち。9度目の正直。かなり嬉しかったようだ。今年、初勝利だから無理もないだろう。そのメンタルに持っていったのは・・・。
2回戦バンロースト(ベルギー)、旧姓モナミ。結婚したらしい。日米かわい子ちゃん対決。相手の最初のゲーム、15−40を取れず。ここで相手が爆発してしまった。0−6,0−6の完敗。しかし、決してスコアほど実力の差は感じられなかった。神尾選手はナントサーブ&ボレーをおそらく生まれて初めて、やってパスを抜かれた。ペロッと舌を出して、お茶目。負けているのに実に楽しそうだったのが印象的。
本戦には日本男子選手は松岡修造選手のみ。女子は9人も出ているので、2組も1回戦で当たった。杉山愛選手はフーバーに勝って、フェルナンデスにファイナル負けでベスト16は立派。これを上回ったのが、日本の誇り伊達公子選手。マルチネスに勝ってベスト4.第1シードグラフとの準決勝。毎日、ウインブルドン近くに家を借りている伊達選手の家に自転車を止めて、この準決勝もコーチ席の上のメインチケットをくれた。お〜!この1つ下に行きたい。1セットオールに持ち込み、伊達選手の完全なペース。ファイナルと思いきや、グラフがおもむろに主審に詰め寄り、暗くて見えないと言い出す。全然、出来るよと思っていたが、しつように言っている間に暗くなる。グラフの作戦勝ち。次の日、グラフが勝利。あのまま、やっていたら80%以上勝っていたな!これが世界か?

ボブ・ブレッドテニスキャンプ スイス・ルガノ
ダメ元で送ったFAXを返信してくれた当時世界一のコーチと言われたボブ・ブレッド(ベッカー、イワニセビッチをチャンピオンにして、この時はメドベデフ)にウインブルドンで偶然通りかかった。思い切って、「この後、あなたのスイスのキャンプに行く予定の森下です。」と言ったら、「ああ、FAXを見たよ。今は誰のコーチ?神尾選手?よく知っているよ。頑張ってね。スイスで待っているから。」と覚えていてくれた。
電車に乗って、スイスの山の中の駅。車で迎えに来てくれて、さらに山の中に入って行く。コテージを与えられて、ナイキのボブ・ブレッドのサイン入りTシャツとパンツを2枚ずつくれた。それを着て、すぐに食堂に来いと言う。
そこでコーチ達の挨拶。ヨーロッパを始め、たくさんの国からやってきている。皆、ボブ・ブレッドの名前に憧れて来た連中だ。サテライトで会ったあいつ(バングラデシュで一緒に部屋をシェアしようと言ってきたので、わざわざ自分の安宿を解約して向かったら、すでに他のやつがいた。ふざけた野郎だが、ランキングは600位ぐらい。謝りもしない。)もいた。ボブ・ブレッドはまず、「何か国語話せるか?」その後、「コーチとしての経験」を言わせる。皆、さすがヨーロッパ出身だ。5か国語、中には7か国語話せるコーチもいた。私の番が来た。「言葉は日本語です。英語は頑張って話します。」と言ったら、皆、大笑い?しかし、こここでボブ・ブレッドは「問題ない。ヤスシはスキルがある。ATPランキングも持っていたし、ウインブルドンでも神尾選手のコーチとしていた。経験は十分にある。」とズバッと言ってくれた。すると、バカにして笑っていた連中がシュンとなって、少しだけ尊敬の念で私を見たのを感じた。世界一のコーチの言葉は大きいなあ!こういうところまで目が配れるのが一流の証拠。
バカにしていたコーチ達も夜になるとこぞって、私を夕食やビールに誘うようになった。
コートは30面以上あり、クレーとはめ込み式の全天候型コートがあった。不思議な取り合わせだ。各国からジュニア100人以上、一般の人も参加できる。8時〜10時半、13時〜15時半または、10時半〜13時、15時半〜18時のいずれかのパターン。私は一生懸命やって連続でもいいと言っていたら、本当にこの中の3つをやった。なかなか疲れて大変だった。英語で一生懸命伝えて、時にはクレーに手で書いて説明した。生徒は私を囲んで集まって、何とか理解しようとしてくれた。皆、笑顔。すぐに人気者に。最終日にスイスの親子が入っているグループに教えていたら、お父さんが「他のコーチにも教わったが、君が一番熱心だった。ありがとう。世界を回ってたくさん経験してくれ。」と約5000円分のお金をくれた。非常にありがたい。心が通じると嬉しくなった。
ボブはこの山道を下ったり、上がったりして、必ず1度は各コートに顔を出して、選手に一言送って行く。特にロシアの12歳NO3には力を入れていた。私のボールかごから自身が球出しして、「エクセレント!」「ブラボー!」などとたいしたショットでない時も褒める。印象的なのは「ボレーはドライブをかけるように厚く打て!」と言ったのにはビックリ!ダブルスNO1のウッドブレッジのFポーチはローVドライブするが・・・。
また、スペインのサバドールというものすごく厳しいフィットネストレーナーがいた。日本のスパルタ式だ。何か懐かしい感じがした。その後、グランドスラムでも会って、ナントコスタがフレンチオープン準優勝した立役者だった。これにトップはついて来る。
2週間いて人気者になった私は次の地に向かう。アルバイト代はいらないと言っていたが、相手方は渡すので朝来てくれと言う。お言葉に甘えて行くが、まだ誰もいない。そうこうするうちに電車の時間が迫ってきた。お金はもらわずに急いで駅に向かう。

レイミーテニスクラブ アメリカ・ケンタッキー
飛行機がかなり遅れて夜中の0時に着いたにも関わらず、オーナーのレイミーさん67歳は待っていてくれた。広いトウモロコシ畑にポツンとビビの入ったハードコート3面、ナントインドア2面まである。ただ、習いに来るジュニアは1つドリルやると暑いと言って、冷たい井戸水を飲みに行って、そのままブランコに乗って遊ぶ。スペインから来ていたジョン(コーチの勉強をしたいので、食事とベッドを用意してくれないか?という内容の手紙を書いたらしい。世界には私と同じことを考えるやつがいるものだ。世界は広いなあ。)とあっけに取られて笑った。
クラブのおじさんに誘われてローカル地元大会に出場。5組のみだが準優勝。ついでにシングルス。3人のみ。1R黒人選手に7−6,7−6。危なかった。決勝は練習試合で2連敗しているジョンと。サーブ&ボレー6−1,6−4で優勝したが、ジャッチがひどいし、ぶつけられて突き指するわでさんざんだった。

アトランタオリンピック アメリカ・アトランタ 取材&勉強
アトランタオリンピックでテニスだけでなく、いろんなスポーツを見て勉強しようと思った。これも最初から計画していたこと。クラブのジュニアのお母さんロビンさんがアトランタまで行くというので8時間乗せてもらった。そして、また途中で友達の友達のケビンにピックアップしてもらってモーテルまで行ってくれた。親切なアメリカン人のおかげで助かる。
一泊100$(当時15000円)メチャクチャ高いが、周りはもっとふっかけていて、5倍位以上300$もざら。たいしたことないのに。一番近い駅まで45分。時には2往復も。
テニスは松岡、伊達、澤松、杉山の各選手がシングルス。修造選手はシードのヘンマンに負けた後、帰らずに鈴木・岩淵組の応援を一生懸命にしていた。主審からうるさいと注意を受けていた。こういうのはグランドスラムではありえない。オリンピックならではのこと。
そのおかげでダブルス1勝。
伊達選手はサンチェスにファイナル8−10の惜敗。
杉山選手は話題のヒンギスにストレート勝ち。
一生懸命応援していると代表監督の福井烈さんが「いつもありがとうね!チケット何日か分、用意したから取りに来てね。」ありがたい言葉。嬉しい限りだ。一流の人は人間ができている。朝寝坊してダッシュしたら、大きな石に躓いて、膝にガツン。血だらけでギリギリ時間に間に合った。「大丈夫?血が流れているよ。」と福井さんに引かれる。
アメリカ人の観客はまず自分が楽しんで選手を盛り上げる。「USA!USA!」と。どこでも
ウェーブが起きる。これが選手のパフォーマンスを引き上げるのだ!
野球(銀メダル、アメリカが3連続ホームランでパワーを見せつける)、サッカー(ブラジル3−1リード。ナイジェリアが後半残り1分で同点、延長で4−3の大逆転勝利!諦めない精神の真骨頂だ!)、バスケット(ドリームチームがさすがにチケット取れず)、ビーチバレー、ボクシング、陸上など見に行った。柔ちゃんの柔道はチケット取れず。
閉会式も素晴らしかった!197か国が参加。戦争などしている場合ではない。スポーツは国を超え、言葉を超え、人々に感動を与える。

東芝クラシックオープン(神尾米選、サンディエゴ)
アトランタ後、行くはずだった3つのテニスクラブに断られた。よくある話だがショック。SSCの教え子のお父さんがロスにいるので1週間泊めてもらった。
毎日、近くの海までランニング、テニスコートでサービスとイメージした素振り。
ロスアンゼルスオープンを見に行くとビーナスをやじるひどい観客がいた。ここでは書けない・・・。
その後、サンディエゴに移って神尾米選手と合流。
実際に打つが、私は練習不足でミスが多かった。
神尾選手は肩の負担を減らすため、担いでサービス。
この大会は温泉&ゴルフ場付きのリゾート地、USオープンの前哨戦に当たるため、レベルが非常に高い。50位から予選。
予選シードで2Rから登場。サービスがいいモンタルボ(アルゼンチン)に6−2,6−3で勝利。得意のリターンで真っ向勝負してプレッシャーをかけた。
予選決勝はウインブルドン3Rで伊達選手からセットを奪ったブーゲルト(オランダ)に5−7,6−4,6−4と超競り勝ち。良く走って拾いまくった。後半、大事なところで勇気を持って攻めたのが勝因だ!森下イズムが浸透しつつある。
本戦1Rリクホベッティバ(ロシア)は最近急激にランキングを上げてきた。
第1セットはあっという間に0−6。第2セット以降は落ち着いて前後に振ってからパス。大逆転勝ち。
2Rは第1シード伊達公子選手。前日にミーティングで「本気で勝ちたいなら作戦を考えるよ。」なんて偉そうなことを言った私。自分にもプレッシャーをかける。
立ち上がりの3ゲームが勝負。しかし、伊達選手は完璧に近いプレーで0−3と一気に離される。本当に強い。神尾選手も必死に食い下がって、機を見て攻める。第2セットは逆に3−0とリードして、5−5まで行くが・・・。2−6,5−7のストレート負け。
しかし、いい試合だったので観客の皆さんは立ち上がって2人に拍手を送ってくれた。
さらに地元の新聞社からインタビューを受ける。神尾選手から「森下さんも一緒に来て、答えて。」「えー!頑張ってみるけど。」その記者は親切にゆっくり話してくれて良かった。
やはり上の選手には攻めないといけない。しかし、その配分も大事。凡ミスがない上でポイントを考えてトライする。
「ずっと勝てなかったのに。こんなに試合を試合したのは久しぶり。1年分やったみたい!」と神尾選手。十分に楽しんだようだ。やはり勝利が一番の良薬!
毎日、中華に行って神尾選手と雉子牟田直子選手がはまったスーラースープ(酸っぱ辛い)を頼む。

USオープン(神尾米、ニューヨーク)
次の日はオフだがニューヨークに移動するという。1人だけ朝5時出発。言うまでもなく私。NYに着いてすぐに神尾選手と雉子牟田選手に髪を切ってもらった。ドンドン短くなった。会場でまだマイケルチャンと間違えるファンがいる。カタカナで書いてやった。
1R身長の高いスコバに2−6,3−6。調子は上がってきていたが、グランドスラムで緊張したのと相手の速いペースについていけなかった。
先週優勝した伊達選手も1R負け。日本女子では雉子牟田直子選手のベスト32が最高だった。
日本人を応援し続けている倉岡さんが社長のレストラン日本(日本を離れている選手にとって大きな味方)で食べていると「ちょっといいですか〜?」と言って松岡修造選手が入ってきた。酔っぱらっている。
「米ちゃん、肩が痛くても女子なら大丈夫だよ。辞めたらもったいないよ。」と少し失礼で強引だが、相手を励ましながら、1R負けした修造選手自分自身を励ましているように見えた。さらに「ここに実力がないのに最後までやりつくした男がいるのだから。」と私を指さしながら「米ちゃん、やれるよ。」と言って去って行った。え〜!俺をダシにして・・・。
帰国してから正式に引退を決めた神尾選手。時を同じく引退を決めた伊達選手。お疲れ様でした。やり切った人、決断を決めた選手はすごい!神尾選手から帰り際に手紙をいただいた。最後の試合は一緒にいて楽しかったと書いてあった。今でも宝物です。
神尾選手は帰国したが、私は男子決勝の最終日まで見ていた。時には夜中の2時近くまで。当時はコーチパスで最終日までいられた。現在は無理だろう。
白石正三プロがジュニアを引き連れて来ていた。森山亜希子選手と井上麻衣子選手。準決勝に進出したのでダブルスを一緒にやってくれないか?と言われた。2つ返事でハイ!
素早く練習試合を終えて簡単にアドバイス。
走ってサンプラスの試合を見に行く。伝説になった準々決勝サンプラス対コレーチャ。ファイナルタイブレークでサンプラスが突然コートの後ろに行って吐いた。フラフラで歩くのもままならない。逆にコレーチャは元気よくこれ見よがしにピョンピョン高く跳ねている。会場は騒然、皆立ち上がってサンプラスを応援する。誰もが負けるのはやむえないと思った。しかし、セカンドサービスエース。飛びつきボレー。勝手に体が反応している感じ。常人には理解できない。サンプラスのマッチポイント、ナントコレーチャのダブルフォルト。奇跡だ!テニスは何が起こるか?わからない。感動で私も誰もが泣いていた!世界一の選手が吐きながらなりふり構わず、戦って勝利!ボールパーソンに両腕を抱えられて会場を後にするサンプラス。ずっとベンチでタオルを頭からかぶって震えているコレーチャ。会場の誰もが敗者でも最後まで手を抜かなかったコレーチャに拍手を送り続ける。何分、いや何十分たっただろうか?やっと立ち上がったコレーチャ。手をあげて出ていく。こんな素晴らしい場面に出会えたことに感謝。今だかつてこれ以上の場面は見たことがない!?
今回からUSTAは男女の賞金を同額にした。今では当たり前になっているが、この当時は物議を醸しだした。男子トッププレイヤーからも反対の意見が出たほど。私もこの時は女子選手には悪いが3セットと5セットの違い、またレベルの違いなどで反対寄りだった。今ではいいと思う。女子のアスリートにとってテニスは一番のスポーツと言えるだろう。
また、USTAはATPランキングを使用せず、独自のシードを作った。ウインブルドンはそれをやっていたが、アメリカ人同士を避けるためだ。チャンが第2シードになった。カフェルニコフが怒って帰っていった。当然の出来事だ。何のためにATPランキングがあるのだろうか?この後はさすがのウインブルドンもATPランキングを採用するようになった。この時点では独自のシードを決めていた。思えば不思議なことだった。
最終日、私が会場で出した洗濯物が戻って来ない。文句を言うとロッカールームに連れて行ってくれて、「代わりに選手が置いて行ったものを持っていっていい。」と言われた。「え〜!本当に!」私は4位フォルジェのウェア上下、そしてアガシの短パンを持っていった。損して得をした。以前はこんな意気のあることをしてくれた。
チャンとの決勝前、サンプラスはロッカールームの中、裸で素振りを繰り返していた。
USオープンの頂点に立ったのは不調から脱出したサンプラス、昨年に引き続き再びセレスに勝ったグラフ。この2人は力が落ちたという人がいるが、私はそうは思わない。ずば抜けている。この2人に勝つには相当の実力と努力、そして運が必要だ。

プライベートレッスン(ニューヨーク)
専修大学の後輩が単身ニューヨークへ。プライベートレッスンで生活しているというのでお邪魔した。郊外の一軒家の地下を借りている。なかなかの湿気だ。これでもニューヨークはしっかり値段がはる。彼のレッスンの手助けとのつもりが実際にやっていいと言う。さらに半額を渡してくれると言う。悪いなあという半面、正直助かったという気持ちもあった。ある日、教えた日本人の奥さんは大変私のレッスンを気に入ってくれて何度も受けてくれた。
この前後には中学高校時代の友達が数学の博士を目指して同じくニューヨークへ。彼は小さなアパート。道端で拾ったベッドを運んで2人で寝た。前年は体を壊したが救急車を呼べずに大変だったらしい。こちらは日本と違ってものすごい料金がかかるらしい。神尾選手が帰国した後、伊達選手のコーチである竹内さんのホテルに行って、Tシャツやお米など取りに行った。これで体を丈夫にして欲しい。皆、それぞれの場所で戦っている。

USPTR インターナショナルテニスシンポジウム (バンダミーアテニスセンター アメリカ・サウスキャロライナ)
USオープンの会場でバンダミーアさん(USPTRの創始者。アメリカのコーチ資格、約8000人)に直接「コーチシンポジウムがあるから是非来なさい。」と言われた。
サウスキャロライナのバンダミーアテニスセンターに世界中から1000人以上のコーチが集まった。そこで何人かのコーチが1時間ずつコートで練習ドリルを見せたり、スポーツ医学・生理学、生物学、心理学、栄養学などの専門家が講義するのである。この講義に高いお金を払って挑戦したが、専門用語が多く半分もわからなかった。しかし、全てチャレンジ。
心理学で有名なジム・レーヤー氏も来ていた。高校2年、テニス雑誌で見たメンタルトレーニングには衝撃を受けた。それを単語帳に写して、ゲームチェンジで毎回見ていた。その後、急にシングルスの成績が上がったのを覚えている。
コート上では元世界7位のジェイ・バーガーがドリルを見せる。
クロスラリーからダウンザラインへ打つ練習が必要。やはりこれが基本だ。基本の質が違う。
しかし、球出しから厳しいボールを送っていた。見たことはないが、昔ホップマンさんがマッケンロー達トップ選手にも最初の1ポイント目から厳しいボールを送っていたと聞いたことがある。バーガーは現役を引退しても上手い〜!
ハービー・ラトナー氏のビジュアルトレーニングは4種類のカラーボールを一気に投げ、指定した色を掴む。次にそのボールをリングに通して投げるとキャッチしにくくなる。
眼の錯覚やリングに惑わされるのだろう。
マイケル・エバート(オーストラリア)は手と足のコーディネーショントレーニング、道具を使ったアイデアが豊富。可愛らしい子供達がローラープレートで滑り、ラケットの上にボールをバウンドさせながら、コーンの間をジグザグに走る。その上でコーチ達が蹴っている大きなボールに当たらないようにする。さらにドンドン高度にしていく。見ていても楽しいからやっていても楽しいはず。楽しさは全ての原点。
バンダミーアさんは自分のテニスの考えを世界に広め、さらにこうやってビッグイベントを開催するのだから、本当にすごい!と素直に思った。

インドネシアサテライト (石井弘樹選手)
石井弘樹選手に呼ばれて、ジャカルタへ。彼は腰を痛めて、ここ1,2年プレーしたことがない。以前、トルコサテライトで戦った相手であり、SSC時代も一緒に練習をしていた仲だ。
1週目が学生の街バンドン。予選2つ勝って本戦入り。調子も悪くない。
USオープン時に神尾選手と雉子牟田選手に切ってもらった私のひどい髪型!?に我慢がならなかった彼は「僕がもっと上手く切ります。」と。意気に感じて任せてみた。
言葉通り上手い。イヤ、かなり上手い。プロ並みだ。しかし、いかんせん1時間半はやり過ぎ・・・。「腰が痛くて動けない〜。」中腰でやり続けて、持病の腰痛が出た。
私は一生懸命マッサージをするが、本戦1R試合途中で棄権負け・・・。
日本から5人出場したが、本戦緒戦突破は岡田選手1人のみ。全てJOP50位内だが・・・。サテライトでもこの差が出る。暑くて集まらないと思っていたが、アジアということで世界中から300位イタリア人を始め、結構集まってきた。
2週目はジャカルタのアンツーカ。石井選手は再び予選を上がるが、本戦1Rイタリア人に負け。ここでも初戦突破は岩見選手1人のみ。
3週目のスマランのコートはひどい。ラインの内側がガタガタのコンクリート、外側がハードコート。境目に足を引っかけたら捻挫で終わりだ。こんな所でもやるのだ。
石井選手は予選決勝で元インドネシアのデ杯選手にマッチポイントを握りながら、逆転負け。25番目でギリギリマスターズに出場できず、あと1人でATPポイントは逃した。細かいテクニックは上だが、体力とスタミナ不足だった。しかし、メチャクチャ暑いのだ!
その後1週間、ジャカルタに住んでいる金澤さんにお世話になった。7ヵ月前にも赤堀選手等と食事をご馳走になった。さらに「少しでも旅の資金にしてください。」とプライベートレッスンを受けてくれた。身に染みて、とても嬉しかった。

レックテニスクラブ オーストラリア・ブリスベン
以前SSCで働いていた神谷さんがこのテニスクラブで働いていたので泊めてもらった。佐藤コーチ、福間選手も一緒。
マイケルジャクソンのコンサートに行く。一流は歌と踊りにストーリーがある。テニスでもゲームプランが必要だ。しかし、スーパースターは魅せる。このためなら高いお金を払っても満足。自然とそうさせるのがスーパースターだ!
18世紀後半、囚人達の流刑地として“呪われた大陸”と呼ばれていた時代もあったが、19世紀半ば、金が発見されてから一気に“黄金の大陸”となった。第二次世界大戦では日本はオーストラリアを攻め、敵対国になった。反日感情は強い。ある程度の歴史は知りながら海外を回るべきだと思う。
かつてのテニス王国、レーバー、ニューカム、ローズウォール、マーガレットコート夫人、イボンヌ・グラーゴン・コリー等、実際に生で見たことはないが、何度も名前は聞いている。確かなことは言えないが、この広大な大陸にこれだけの自然や環境の中で育ったオージーには未知なる力が潜んでいる。

大谷テニスプランニング オーストラリア・シドニー
ブリスベンからバス8時間半でシドニーへ。知り合いの選手から大谷さんのことを教えてもらった。実は専修大学テニス部の7つ上の先輩だった。全日本優勝した寺地選手のジュニアの頃、オーストラリアで指導していた。オーストラリア人の奥さんと3歳男女のかわいい双子。奥さんは日本で働いていたので日本語も大丈夫。双子はバイリンガル。
シドニーで一番きれいで有名なビーチの目の前のアパートに泊めてもらう。
一緒にプライベートレッスンをやらせてもらった。大谷さんは一通り教えたら、初めてのジュニアにもドンドン試合をさせるのだ。テニスの楽しみはゲームにあるという考え。
大谷さんが日本に帰国している間、引き続きレッスンをさせてもらった。これで少しお金が貯まると思ったが・・・。レッカー移動させられて罰金を払って元の木阿弥。

1997
NSWオープン 取材&勉強
NSWオープンを見に行く。杉山選手は1R負け。澤松選手はベスト8へ。一生懸命見て、ノートに書くのも勉強になるが、実際に一緒に戦いたい。

オーストラリアンオープン 取材&勉強
シドニー〜メルボルンまで夜行バスで12時間。1泊分浮くのだ。安宿を歩いて2時間見つける。9000円、1泊ではない1週間分だ。ちなみに選手達が泊っているホテルは1泊15000円だ。今まで俺が出会った中で2番目に足の臭いやつと安宿一嫌われ者と同室、最高すぎる。
増田選手が教え子からの手紙を渡された。どんなことよりそれが一番嬉しい。励みになる。
ランキングが落ちて予選に回った松岡選手は1Rマッチポイントを取られたが、ナント相手の棄権負けで勝利。運も実力の内か?しかし、予選決勝コードウェルにストレート負け。予選決勝負けは自身初めてと悔しそうに言っていた。
全日本優勝本村剛一選手もUSオープンに引き続き、予選決勝負け。しかもファイナル負け。着実に力をつけているのだが・・・。
他にも茶園、宮地、岩淵、辻野、増田選手らも健闘むなしく、予選負け。このタフな予選を3回勝ち上がるのは非常に厳しい。宮地選手は予選1R松岡選手に負けて「打つボールが全然違う。」と言っていた。92年予選には私と白戸選手の2人。本戦は松岡選手のみ。ドンドンチャレンジしなければチャンスはなくなる。
女子は100位内を突破した吉田友佳選手、グランドスラム6回連続決勝進出で初めて悲願を達成した佐伯美穂選手が見事予選を通過した。230位で予選カットオフ、5人が出られなかった。しかし、その場に行かないと何も始まらない。
本戦は杉山、澤松、雉子牟田直子、遠藤、宮城、平木、長塚、吉田、佐伯の9人の選手。伊達選手が抜けてこの頑張りはすごい!
2Rを突破したのは平木選手のみ。オランダのシュルツは180センチ以上。一番身長差があった。ファイナル0−3から大逆転勝利。小さな選手が大きな選手に対して拾って拾って勝つのは心が熱くなる。
雉子牟田・宮城のベスト8も立派。この2人は大会前も2週連続優勝(雉子牟田直子選手は全日本も神尾選手と優勝してから4週連続優勝の快挙)。何よりも実に楽しそうにプレーしている。強くてテクニックがある選手が楽しくやるとレベル高いプレーが出る。決して、ヘラヘラしているわけではない。
私が台湾サテライト0−6,0−6で完璧に負けたルード(ノルウェー)がナントベスト16!ウインブルドンチャンピオンのイワニセビッチに5セットまで追いつめたが超惜敗。ストロークが固い。私は攻めても守っても声で気合入れても何しても通用しなかった。最初のゲームで実力が段違いなのがわかって、実は終わり方が恐ろしかったのだ。
予選から上がってきたクニプシード(ドイツ)はベスト32。砂嵐の舞うエジプトサテライトでドロップショットからロブボレーを10回以上決められた。当時、彼は16歳。小馬鹿にしたような態度だったが、あの鉄人ムスターにも効いていたので許してやろう。
同じく予選を上がったラン(イスラエル)は本戦1R足がつってしまって下からサービス。引きずりながらプレーしていたら、ナント相手もつってしまった。それで勝利。何という執念、気迫。オランダサテライトの時は可愛い顔をしていたが、今はその面影もなくむしろ怖い。世界でもまれると顔つきまで変わってくる。
スタノイチェフ(ブルガリア)は1R負けだが、堂々のストレートイン(117位)。トルコサテライトで汚いパンツを一緒に干していた頃とは違う。やるじゃねーか、元サテライト軍団。応援の熱が違ってくる。
男子はサンプラスが優勝。全てのショット、メンタル、どれをとっても他の選手の上を行っていた。強すぎる。
準優勝したモヤを始め、コスタ、マンティーラ等、スペイン勢がメインドローに15人も。アメリカに16人についで2番目。当時、サテライト(以前は4週で1つの大会だった)が9大会。私ももちろん出たが、大きなスポンサーはつかず、地元商店街が少しずつお金を出し合って大会を開催していた。その積み重ねが実ったのだろう。恐るべし、スパニッシュ。猛者たちはまだ眠っているかもしれない。私はセンターベルトなしで試合をしたこともある。
女子は16歳の天才少女、新星ヒンギスが優勝!新旧交代!
Bダウンザラインやドライブボレーでサッとネットに出ていくタイミングは群を抜いている。選手用のレストランでは静かで普通の小さな女の子。コートに立つと実に堂々として大きく見える。
クルニコワ(ロシア)の信じられないほどのきれいさには全世界共通で参っているようだ。
ジュニアは久松選手が女子ダブルスで準優勝。SSCの教え子も参加したが敗戦。まだまだこれから。その後、一般でも世界にチャレンジして成功できるか?これが大事。

オーストラリアンオープン後も大学の同級生の家に泊めてもらう。OKをもらっていたテニスクラブに2時間かけて行くがその場で断れた。信じられない。そこで伊藤さんという日本人コーチがいると教えらえた。名門クーヨンテニスクラブ(数十年前までオーストラリアンオープンが開催されていた所)で話した。24年前だから1973年に1人で来て、当時世界一の国からコーチ学を学ぼうとしたのだ。オーストラリアのプロコーチの資格を取った最初の日本人であり、外国人でも3番目という。すごい人がいたのものだ。情報も少なく苦労されたと思う。来年にはドン・トレゴニー(数多くのオーストラリアの名選手を育て、神和住選手も教えたらしい。ホップマンさんと並び有名なコーチ)を紹介してくれるという。実現はならなかったが・・。
この間にテニス雑誌と日本テニス協会からフェドカップのパンフレット用の選手紹介を書いて欲しいと頼まれた。私でいいのかな?という気持ちだったが、一生懸命に書いた。

デビスカップ オーストラリア4-1フランス 取材&勉強
オーストラリア対昨年優勝国フランスのデビスカップ。
ピオリーン(フランス)セットカウント2−0からラフター(オーストラリア)がスーパーランニングバックパスで3−2の大逆転勝利。観客のボルテージは一気に上がった。
喜んだラフターはニューカム監督に抱きつこうとしたが、ニューカムは先に相手選手と握手を促す。その後、しっかりと抱き合った。誰もが興奮している中、ニューカムは冷静かつ相手の気持ちを思いやっている。選手のニューカムは見たことがないが、こういう姿勢は素晴らしいと思った。
ノア監督(フランスの監督、フレンチオープンで地を這うバックスライスAPのネットラッシュで優勝。私はTVで見ていて覚えている。)も選手を責めずよく戦った、誇りに思うと誉めていた。相手チームにも賛辞を送っていた。堂々とした敗戦の弁である。

オーストラリアンテニスアカデミー オーストラリア・シドニー
シティからかなり離れた静かな場所にオムニコートが10面ある。オムニはオーストラリアで開発されたらしい。最初は芝生のコートに近づけようとしたが真逆の性質になった。オーストラリアの全盛期を取り戻そうとしたのだが。
始めは朝食とベッドのみだったが、昼食と夕食もつけてくれた。もちろん、レッスン代はいただかない約束。今はオフらしく、日本人3人が来ていた。ヘッドコーチのマーチンの奥さんが日本人なので申し込みがあるだろう。インターネットで見つけたらしい。今では当たり前だが、この当時は進んでいたのだろう。
ここのナチュラルベースコーチングシステムはシンプルかつ効果的に学ばせるメソッドということらしい。スウェーデンで学んだロス・ジョーンズ氏がオーストラリアに持ち帰り、マーチンが少しアレンジして受け継いでいるとのこと。
衝撃の教え方だった!?フォアボレー、バックボレー共に右肩を極端に下げて構えて、さらに上から下へラケットを一気にダウンさせる。バックスライスも同じように上から下へ切り下す。私は平行気味に出した方がミスは減るので違う考え方だが、ここではそれを教えるしかない。教える側も教わる側も戸惑ってしまった。100人コーチがいたら100通りの教え方がある。
ここはテニスクラブだけではなく、宿泊施設や結婚式場もこの敷地内にあり、経営している。私もワイングラスを並べるなど手伝った。

フィオードランドカレッジ ニュージーランド・テアナウ
テアナウは小屋が1つだけの小さな空港。テニスクラブと思ってきたがそこは高校だった。一番素早く私のFAXに反応してくれて内容も心がこもっていた。そこの先生のミセス・マーガレット・シェパードさんが快く迎えてくれた。ご主人はそこで唯一のイタリアンレストランで働いているブライアンさん、ハンサムガイ17歳グレッグの家に泊めてもらった。人柄が顔中に溢れている。生徒達に1〜4人ずつ30分〜2時間、毎日教えた。毛のないボールとラインが書いていないコンクリートで。私のつたない英語を一生懸命に聞いてくれて感動。「サンキュー」と言って笑顔で帰って行くのを私は手を振って見送る。これ以上に幸せなことがあるだろうか?世界一美しい景色と言われるミルフォードサウンド。その湖で水上スキーも楽しませてもらった。お礼にグレッグにウェアの3分の1をあげてきた。虫歯が急に痛くなった。たまらない。

フェドカップ 日本1-4フランス 東京
一度、日本に戻って虫歯治療。有明の森でフェドカップ。初日0−2のピンチ。2日目、杉山選手が絶体絶命から相手エースピアースにファイナル6−4で逆転勝ち。高い打点のバックから攻めて、初日の悔し涙を吹き飛ばし、次に望みを繋げた。
次が歴史に残る試合。澤松5−7,6−4,15−17テクニシャントージア。総ゲーム数54。1セット32は共に史上最長。どちらがいい悪いという問題でない。2人の選手がお互いの持ち味を存分に発揮して、100%以上のプレーをした結果。たまたま相手が勝ったというだけ。これぞ!プロフェッショナル!
残念ながら雉子牟田・長塚組も負けて1−4。しかし、それ以上に観客の数が少ないのが気になった。伊達対グラフ戦はいっぱいを通り越していたが。

エバートカップ カルフォルニア・パームスプリングス 雉子牟田直子選手
フェドカップが終わってガックリするヒマもなく、ナント皆次の日にはアメリカ遠征に。強行スケジュールが当たり前の世界。今回はフェドカップダブルスにも出場した
雉子牟田直子選手に同行した。姉の明子選手もサポーターとして参加。やはりツアーを知っている一番身近な人がいると心強い。寒い日本から日差しの強いカルフォルニアへ。ロスから飛行機で40分、パームスプリングスという砂漠の中のリゾート地。ホテル、スタジアムを含む20面近く、ゴルフ場も同じ敷地内にある。男子ATPチャレンジャー、女子WTAツアー、男子ATPツアーと3週連続、この場所で開催される。雉子牟田直子選手は昨年の中頃まで順調にランキングを上げていたが、今年に入って勝ち星に恵まれず、少し自信を失いかけていた。これをどう盛り上げるか?だ。実力は十分にある。
1R強敵メアリー・ジョー・フェルナンデスだったが、ピアースの欠場で日本のエース杉山愛選手と対戦することになった。ここまで来て何で?と思うがこういうのはよくあること。選手間では言葉に出さないのが暗黙のルール。スタジアムのセンターコート、2人共速いテンポの打ち合いで簡単にはポイントがお互いに取れない。雉子牟田選手から4−6,7−6(2)、5−3とリード。5−4で杉山選手のサービスゲーム、30−30で雉子牟田選手のバッククロスで追い込んでフワリと浮いたチャンスボール。これを落としてフォアミス。ドライブボレーで思い切って攻めていたら・・・。一瞬の隙をついて攻め切らないと勝利は呼び込めない。結局、ファイナルタイブレークで惜敗。
日本からは澤松、遠藤、宮城、平木の各選手が出場したが、上位には進めず。しかし、この場にいるだけでもすごい。日本女子の大全盛期だ!
ダベンポートが優勝したが、私の注目は当時17歳ビーナス・ウィリアム。高い身長から打ち下すファースト、パワーヒット、最後までそれが衰えない。女子版鉄人ムスター。必ず世界のトップに来るのは分かり切っていたこと。15歳妹のセリーナも衝撃的だった。予選で相手選手にスマッシュを3回もぶつけたのだ。負けた相手は本部に泣きながら講義していた。セリーナも負けず嫌いがすごいがぶつけられた相手もすごい!3回もぶつけられる場面をしかもシングルスで作ったのだから。その選手の名前はもちろん明かさない。
同じ場所で男子ATP大会も開催。波乱の大会。サンプラス、イワノセビッチ、アガシ等のシード勢が総崩れ。そのアガシはホテルのレセプションで何か?もめていた!?ボールの緩急を上手く使ってサンプラスに勝ったウーリロックが決勝へ。チャンはそれにははまらず優勝。
ツアー中、選手たちはテニスばかりしているわけではない。上手く息抜きをしている。むしろ、上手く息抜きを積極的に意識的に取り入れている選手ほど成績がいいのではないだろうか?
今回もゴルフ(選手とコーチはナント無料。澤松選手87、杉山選手105、私115)や杉山選手が借りている家でバーベキューをして楽しんだ。「森下さんは食べるからお肉をたくさん用意しました。」と言ってくれた。試合の後は皆仲間で楽しく。このメリハリがツアーを回るコツである。リフレッシュしてまた次の日の試合や練習に備える。

リプトンインターナショナルテニストーナメント 雉子牟田直子選手
3月15日にフロリダへ移動。卒業式のため、日本に帰国する姉明子さんと入れ替わって、トレーナー横山さんと合流。キービスケインという美しい島で開催。ただ、練習コートが5カ所もあり、車移動が大変だ。
1Rマカロワ(ロシア)7−5,6−1と久々の勝利。初め堅かったが、練習時から積極的にネットプレーを取り入れたのが良かったと思う。8大会連続1R負けを止めて、雉子牟田直子選手の感激の笑顔。コーチはこの瞬間のためにやっていると言っても過言ではない。
2Rシードのサンチェス(89,94、次の年98全仏優勝、94USオープン優勝)の大選手。試合が決まったその日に私はサンチェスのムーンボールをノーバウンドでドライブボレーの練習をしてもらった。必ず大事な場面では粘り切ってくる。そこを怖いけど逆にコートの中に入ってアグレッシブに行く戦法だ。それがものの見事に当たって、6−4,2−0となる。最後は足が動かずネットに行けず。しかし、サンチェスの力が落ちてきているとは言え、雉子牟田選手はここまで追い詰めた。しかも、雉子牟田選手の調子はそんなに良くなかったのである。ハッキリ言ってテニスセンスは完全に上だと思う。90%以上の力を出せれば必ず勝てる!
女子は快進撃のヒンギス(これで1位が決定)、男子は数年前の悪夢の交通事故から奇跡の復活をした鉄人ムスターが優勝。女子は新しい世代のウィリアムス姉妹、クルニコワと言った選手が着実に力をつけている。日本も伊達選手が引退したが、杉山選手(対マヨーリ)、澤松選手(対セレス)、佐伯選手(対ノボトナ)、そして雉子牟田選手(対サンチェス)とファイナルにもつれるなど世界のトップと互角に打ち合っているのだ。

ジャパンオープン 取材&勉強
日本で虫歯を治した。メチャクチャ痛いのをずっと我慢。外国では保険が効かないのでめっぽう高いのでここまで我慢。しかし、紹介してもらったここも目が飛び出るほど高い。
予選は当たり前だが日本人が多い。当時、男女共他の国よりレベルは落ちるが、逆にこれは大きなチャンス。男子は2回、女子は3回勝つと本戦に上がれる。実業団の細木選手のみ、上がれた。厳しいが、他の実業団の選手の励みになる。
男子は調子を上げてきたクライチェクが優勝。リプトン国際時にはフォアが入らず苦しんでいた。わずかの間に修正。フォアクロスが要所要所で決まり、主導権を握った。
トップ選手はこの短い期間で修正しては次にチャレンジ。必ず1年を通して誰もが波があるものなのだ。しかもかなり強い風が吹いていたのに関わらず、得意のサービスはスピードを抑えてコントロール。準優勝のルーは強風に他の選手は苦しんでいたが、風上は上から厚いスピンが伸びて上手く利用していた。その状況にいち早く慣れることが必要だ。
ベスト4のヨハンソン(スウェーデン)は準々決勝で松岡修造選手に6−2,6−2と寄せつけなかった。フォア、バック共に厚い当たりのスピンでウィナーも取れるし、200キロを超えるサービスも持っている。ネットプレーもこなし、弱点がない。上に上がる選手の典型だ。
松岡選手は1R昨年ウインブルドンベスト8ラウデュルスクにファイナル勝ち。1本1本声を出して気合を入れていた。昔のビデオを見てイメージしたらしい。
鈴木貴男選手もバネのあるプレーで2Rに進む。超問題児タランゴにアングルで振り回された。このタランゴは自分に不利になってくると審判や相手選手や観客まで?みついて来て、相手選手をイライラさせることで有名。そこまで相手を追い込まないと。
金子英樹選手も2R松岡選手に第1セットは互角以上の打ち合いを見せた。ラリーからライジングでネットに出るタイミングは以前エクアドルで一緒だった頃よりさらに磨きがかかっていた。
ダブルスで鈴木・岩淵組がベスト4の快挙!2Rアメリカのデ杯ペアであるスターク・リーチ組に対し、ポーチに出まくってストレート勝ち!ダブルスなら世界トップ10狙えたかもしれない!?
石井・小野田組のダブルスもあのウインブルドンチャンピオンのベッカーに勝利。力が衰えダブルスは上手くないとは言え、すごいこと。石井弘樹選手のバックダウンザラインリターンエースは狙っていたと豪語。本当かよ。
女子は杉山愛選手が4−6、6−4、6−4フレイジャーに大逆転で嬉しい初優勝!
最後まで集中力が切れず、攻める姿勢を貫いた。満員の観客の応援が後押ししたことは間違いない。打ち込んだ愛ちゃんのウイニングボールは私が左手の逆シングルでバチッとキャッチ!大きな拍手が会場から響く。しかし、前の日にこのような感じ、お告げ!?があった。それをもらわずに近くの可愛い女の子にあげなさいと。そこでポーンと振りむいて投げてあげた。あとから考えると非常にもったいないことをしたなあ!?
男子はWCでもらった選手は互角に試合を戦えている。もっと外に出て行けばチャンスは広がるのだが。

ホップマンテニスキャンプ 雑誌の取材&写真撮り フロリダ・タンパ
「テニスジャーナル」雑誌の取材でホップマンテニスキャンプに。総勢8人。この時はかなり豪華だった。91年に練習に来てから8年ぶり。桜井コーチにも久しぶりに会った。
ホップマンのコーチのレッスン。ショーン、フォアでサーキュラーバックスイングはアクセレーション(加速)が使えてブラッシュアップ(擦り上げ)しやすい。また、サービスで軸足の前に棒を置く。高く前方へジャンプして飛び越す練習。少し危ないが。
デビット(雉子牟田直子選手、吉田友佳選手のヒッティングパートナーで海外ツアー経験あり。私もリプトンなどで会った。)、バックで打点が低い時により強くヘビースピンをかけるリストの使い方を見せた。
スコット(‘91練習に来た時、レッスンしてくれた。ひげの優しいコーチ)のフォアボレーが面白い。打った後、左手を止めずに開いてバランスを取るというのだ。よく脇を締めて打つとパンチが出るというが、窮屈になってしまうらしい。また、カヌーのスティックをラケットの長さに切り、それでサービスを打つ。重いので、腕のプロネート(回内)をしっかり使わないと入らないということ。ストリングでごまかさないで腕の使い方を覚えるという。また、彼はテニスジャーナルの分解写真の切り抜きやビデオをいつも持ち歩き、ジュニア達に見せていた。よく研究して工夫している。現在ならスマホで誰でも動画を見られるが。
トミー(ヘッドコーチ)はよくしゃべるが、要するにパワーは地面から得るということだな。
そして、ご存知松岡修造選手のコーチであるアルバロ。ボルグ・マッケンローの時代にATP80位まで行ったらしい。サンプラスが練習に来ると打ち合うのは彼だ。バックスライスは大きなバックスイングを取らず、コンパクトだがすごく滑る。私が「今、コーチ修行のため、世界中を回っています。」と言うと、アルバロコーチはパッと目を輝かして、「コーチの勉強を止めてはいけない。止めたら死ぬよ。私もあなたも死ぬまで勉強だ。」と熱く語った。
ジミー・ブラウン(兄のリッキーは澤松奈生子選手のコーチ。ATP42位まで行ってアガシにも勝ったことあり。スゲー!)両手バックの腰の回転は右のお尻からスタート。打った後、勢いで自然に左足が前に出る。フットワーク、軸足である左足はビハインドザボール。
私は「プロのダブルスの強さのキーポイント」。当時、世界NO1のウッディーズはパートナーが打つのを横目で確認してから動くので正しい反応ができる。普通なら遅れてしまう。
また、年間の連載用に「トッププロの練習法」の紹介。テニス史上最高に可愛いクルニコワの場合、選手とコーチがサービスライン付近に立って、簡単なアプローチ&ボレーボレーの練習を繰り返す。この時、コーチはボレーで返し続け流れを止めないように気をつける。リズムを保ったまま、女子にとって苦手な前後の動きを簡単なショットで体に覚え込ませる。

ニック・ボロテリーテニスアカデミー ブランドン・フロリダ
大雨の中、ニックボロテリー(現在は錦織圭選手や西岡良仁選手など輩出。当時、日本ではホップマンとここは誰もが知っていた)に行った。ニックでは日本人の事務の方が応対して、トミー・ハース(最高2位)を一度もマッサージなんか受けない。日本人は弱いからすぐにマッサージすると自慢してきた。何なんだろう!?急に!?こういうのは損するだけ。

パーマーテニスアカデミー タンパ・フロリダ
10日間やって、その後、パーマーテニスアカデミーでまた修行活動に戻った。以前SSCで一緒に働いていたデニスとパーマーさんが暖かく迎えてくれた。テニスコート12面(クレー7面、ハード5面)と同じ敷地内にプライベートスクールがあり、立派な施設だ。これがホップマンとすぐ近くにあるのがさすがアメリカだ。子供たちは朝7時〜9時まで授業。9時半〜11時半までテニス。ランチタイムを挟んで、13時〜15時半までテニス。16時半〜19時まで授業とパンパンのスケジュールだ。私は着いた初日にニコラス(カメルーンの16歳)とマッチさせられた。まるで練習していないので3−1で息が切れて、負けてしまった。練習していないとはいえ、かなりショック!ムーンボールとドロップショットに走らされた。彼はお金がなくて穴が開いたシューズを履いていたので、私のをあげた。
皆、日本人と違ってただ「走れ」では動かない。左手でピンポンのように打ったら、反対側のサイドに走る。パワーボール(大きなスーパーボールでバウンドが変わる)を1バウンドキャッチ等工夫しないといけない。それが楽しいに繋がる。
私もコーチとしてレッスンしたが、ただのドリルでは盛り上がらない。しかし、一度ポイントで勝負するとなると彼らの目つきや動き、集中力がまるで違ってくる。
ポイントを取られるとものすごい勢いで悔しがって怒る。日本のジュニア達と比べるとここが違うかも・・・。やらされているというよりも「負ける」ということに対して自分のプライドが許さず、小さい頃から「勝つこと」が美徳というか、それに執着しているように感じる。よくアメリカのスポーツは「楽しむ」ことばかり取り上げられるが、根本的にはメチャメチャ負けず嫌いな性質があることを忘れてはいけない。ただ、日本のジュニア達の方が断然教えやすい。素直だし、ボールは早く拾うし・・・。ここには、一番多いフランスを筆頭にカナダ、モロッコ、カメルーン、デンマーク、韓国、日本等いろんな国から集まってくる。この中に身を置けば、自然と国際色豊かになること間違いなし。学校は厳しく、この中からスタンフォード大学等の有名大学に進学する選手もいるらしい。私はアカデミーの練習後、他の国のコーチ達と一緒に英語の授業を受けた。宿題も出すし、問題が難しい。要約しなさいと言われてそのまま文を読んだら、あきられて途中でストップがかかった。

インターナショナルテニスアカデミーオブテニス タンパ・フロリダ

フレンチオープン予選・本戦 取材&勉強
チケットの都合上、スイス着。そこから夜行列車で8時間、途中ストライキの心配があったが、何とか無事にパリに着いた。今回も大学時代の他の成蹊大学の先輩の家に泊めていただいた。2ヵ月の赤ちゃんがいるのに・・・。時々、ベビーシッターをした。こうやってお世話になった人達に対して果たしてわたしはいつか恩返しができるのであろうか?相変わらず、フレンチオープンは盛況、一番大会として盛り上がるので好きだ。しかし、試合中でも人の迷惑を考えずいつでもどこでも吸うタバコ、ガンガン鳴る携帯電話には我慢できない。中にはこんなフランス人も当時はいた。今では考えられないが・・・。予選には日本男子選手は1人も来ず(正確に言うと石井弥起選手は来たが入れず)、女子は井上晴香選手のみ。それぞれいろいろな理由があるだろうが、テニスプロならばグランドスラムに来て、例え予選からでも挑戦してほしい。このためにやっていると言っても過言ではないだろう。
本戦には杉山愛選手(28位)、澤松奈生子選手(45位)、雉子牟田直子選手(61位)、吉田友佳選手(73位)、平木理化選手(80位)、遠藤愛選手(92位)、宮城ナナ選手(118位)の7人。
杉山愛選手は1Rワグナー(121位、ドイツ)の上を行くねちっこさ(ご自身がTVで発言していた)で逆転勝ち。しかし、2Rサンチェス(8位)には力が落ちてきているとは言えまだまだ土のコートでは強い。サンチェスはウィナー級をしつこく拾って、ミスを誘導させるのが上手。
澤松奈生子選手は当時話題のビーナス・ウィリアムズ(8大会で80位)と対戦。多くの報道陣と観客の前で大接戦。澤松選手が積極的にネットにトライすれば、ビーナスも長いリーチを活かしてハードヒット。ファイナル5−7の大接戦のグッドマッチ。
雉子牟田直子選手は先週ストラスブルグ大会で杉山愛選手とシードのマレーバに勝って自信をつけている。1R楽勝、2Rセリーナ(88位、スペイン)に6−3,4−1リード。セリーナは1ゲームに6本ダブルフォルトで完全に自滅していたが・・・。ここから信じられないことが起こった・・・。ミスが増えたのと同時ぐらいに開き直った相手のショットが怒涛のごとく入りまくって、とうとう大逆転負け。特にここアンツーカはいろんなことが起こる。インドネシア大会準優勝でランキングをグーンと上げた吉田友佳選手。1Rマッキラン(101位、オーストラリア)に得意のバックアングルリターンとロブで粉砕。2Rポー(16位、アメリカ)にアンツーカとは思えないほど速い攻めで一方的にやられた。もう少し得意のチェンジオブペースの工夫があれば・・・。
平木理化選手のシングルスは1R負け。しかし、この後、とんでもない快挙を成し遂げようと誰が予想しただろうか?
佐伯美穂選手はあのセレス(3位)との試合でさすがに舞い上がってしまったのか?自分の力を発揮できなかった。
遠藤愛選手はベテランのセッチーニにファイナル「ばてた」とのこと。
ダブルスを含め、このバウンドが高く跳ねるアンツーカコートでは日本人が上位に進出することは困難なのだろうか?
女子はこれ以上ないというほど完璧なプレーをしたマヨーリが初優勝!準優勝のヒンギスは負けたが、力は本物だ。姿勢が常に真っすぐで頭のいいテニスには感心させられるが、コート上で少しイラついた仕草はいただけない。これも若さゆえだろう。皆、通る道か?若手がこれだけ出てくる中でセレス、サンチェス、MJフェルナンデスなどベテランも活躍しているのは評価したい。特にグラフに勝った(今季3度目)クッツァーはフットワーク、ストローク共非常に良かった。このまま行けば優勝するかと思うほど。何故か?グラフには異常に自信を持っている。不思議だ。
この当時、話題の試合はヒンギス対クルニコワ。内容はヒンギスの一方的な勝利に終わったが、クルニコワのバッククロスリターンとストロークのスピードとセンスには目を見張るものがある。また、メチャクチャ可愛い。後にも先にもこれ以上の選手はいないだろう。大ファンだ!ヒンギス、ウィリアムス姉妹、クルニコワ、それにルチッチ(クロアチア。今大会は出場しなかったが、この前の2大会いずれも予選から勝ち上がって優勝と準優勝。驚きだ。SSCでレッスンした時も他のジュニアは休もうとするが、ルチッチだけは次は何?次は何?と催促してきた。当時13歳)の5人に日本人が絡むと面白くなる。
男子はやはりクエルテン(ブラジル、68位)。回り込みフォアとサービスの確率とコース(はっきり言って男子でこの2つが優れていないとトップにはいけない)はもちろんすごいが、私は下がらずに打つ片手バックハンドこそ彼の一番の強さの秘訣だと思う。同じフォームでどのコースにも自在に打てるし、全く予測できないドロップショットは絶妙。トッププロはこのドロップが異常に上手い。特にこのアンツーカでは!?打てないと試合に出てはいけないぐらいだ。3Rムスター戦、このブラジリアンはナント1ゲームに4連続ドロップショットウィナー。あの鉄人ムスターが全く反応もせず、棒立ちだった。
優勝はブルゲラ。スペイン人は18人本戦、内シード6人。モヤやコレーチャが負けても無名のブランコがベスト8、モヤに勝ったポータス、グリグリスピンのA.マーチン(前年全仏ジュニア優勝)等、まだまだいます。この国には。
また、予選上がりからベスト4のデビュルフの大きなフォア、ベスト8アラジの天才的なタッチと運動神経の良さ。また、予選では髪の毛をピンクに染めたチャーペンダー(アルゼンチン、136位)、外見の派手さに負けずにプレーもワイルドで激しいプレーで魅了する。プロならこれぐらい派手でも実力が伴って覚えてもらうのはアリかもしれない!?リオスにどことなく雰囲気が似ている。南米にも関心が出る。サッカーだけではない。皆が知らなくても世界中には強い選手がゴロゴロいる。男子はサンプラスやチャンが絶対に勝つという保証はない。それだけ世界のテニスのレベルと質が高いのだ。この時も思ったが、一度コーチも選手も見に来てくれ〜!ここを目指すなら。
最後にナント平木・ブパシ組のミックスダブルス優勝!おめでとう!素晴らしいコンビネーション。ブパシは91年バングラデシュ・パキスタンサテライトで一緒だった。その当時、16歳の彼はたった1人で参加していつも一人ぼっちで友達もいない。しかし、いつもニコニコして愛嬌のあるやつで私のそばから何故か?離れないのだ。仕方なく練習してやったやつが・・・。偉業を達成した!本当に嬉しいよ!最高の誕生日になったな!マヘーシュ!おめでとう!あとで会った後、誰だっけ?みたいな顔していたのはさみしかった・・・。え〜!ウソだろう〜!恩を仇で返すとは!?
毎日、他の大学の先輩市川さんの家からボローニャの森を抜けてローランギャロスまで1時間歩いた。変な人が声かけてきて怖い。

ステラアートイスグランプリ 取材&勉強 中川家
パリ〜ロンドンまでバスで8時間、海を渡って、昨年と同様、中川家に泊めていただく。本当に助かる。旅費が一番かかる。このクイーンズではフィリポーシスが優勝。決勝戦では相手のイワニセビッチが完全にお手上げ状態でボールパーソンの女の子にラケットを渡し、リターンを頼む場面も・・・。こういうユニークなところがあるから面白い。準決勝の対ルセドスキーのファイナルタイブレーク20−18の息詰まる一戦はこの後始まるウインブルドンを盛り上げるのにふさわしい一戦だった。

ウインブルドン 取材&勉強
予選に松岡修造選手が出場。オーストラリアンサテライトから何かを掴んで来たようだ。100位に入った選手がもう一度サテライトに戻るのは非常に勇気がいる。しかし、ダブルス巧者のマクフィーに何本もの足元グッドリターンを絶妙なタッチボレーで切り返されて、逆転負け。このひたむきさは応援せずにはいられない。実業団NO1の細木裕子選手が初グランドスラム予選初勝利!自分だけでなく多くの他の実業団の選手達に刺激を与えただろう。俺もできる、私もできると思うことが大事なのだ。宮城ナナ選手は予選決勝負けだがラッキールーザーで本戦入り。1Rトージアのタッチショットに翻弄された。井上晴香選手は3回勝って本戦へ。「これで胸張って会場へ入れる。」と言ったのが印象的だった。しかし、本戦では決して調子の良くないフーバーにファーストサービスからリターンで叩かれて、エースを何本も取られた。期待の杉山愛選手は調子のいいバスキのフォアとリターンエースの嵐、ネットプレーに手も足も出なかった。自分の長所であるバックで思い切って攻める場面が先のフレンチオープンから影を潜めているように思えるが。遠藤愛選手はクレーコートスペシャリストのレオンガルシアにストロークでやられた。佐伯美穂選手はヒーの速い攻めに1R負け。平木理化選手対吉田友佳選手の小柄な日本人対決。8人も本戦に出場していると1Rで当たる可能性が高いのだ。接戦が予想されたが、意外にも早いミスの展開であっさり終わる。勝利した吉田選手は2Rシードのマルチネスと。バックスライスからドロップショットと操られてパスのパターンにはまる。ナント0−6,0−6の完敗。それでも諦めずに最後まで戦った経験は必ずあとで活きてくる。澤松奈生子選手は1Rスミスに完勝。2R女子界きってのパワーヒッターのタナスガンにおそらく彼女の生涯最高の出来の入りまくりショットに圧倒された。あまりの凄さに「どうなっているの〜?」と大声で叫んでしまったほど。雉子牟田直子選手はネイランド、ポーラスに勝って唯一1人ベスト32へ。第18シードに競り勝ったのは大いに自信になる。配球と面作りのセンスは一歩秀でている。バスキ(インドネシア、最高位19位)に敗れた。そのまま、バスキはベスト8に進出!世界のトップに行くためにはこのアジアの壁を破ることが当面の目標だろう。しかし、皆グラス巧者に当たった。
今年のウインブルドンは雨、雨、雨・・・。予選は別会場、試合途中で雨が降っても選手はコートでじっと待機。木に終わる予定が室内コートを使って、やっと本戦前日に終わった。本戦に入っても2日丸々潰れて、1日2試合の日も・・・。選手や観客たちも大変だが、保険が大損害をこうむる。1日の内、1試合でも行われれば払わなくていいのだそうだ。雨が降らなかった日は果たしてあっただろうか?と思うほどの今年の天気。しかし、この状況でもしっかり観客が入って日程通り終わって大成功で終わるのがウインブルドン!さすが!
女子はヒンギスが優勝。フレンチオープンの敗戦が自分への戒めになったのか?今回はいつも以上に集中していたように見えた。ショット自体がトップでこれにメンタル面が崩れなければ他の選手にチャンスはない。ノボトナも負けはしたが、今回はビビることなくベストプレーに近い状態。十分胸を張れる準優勝!ベスト4クルニコワ、可愛いルックスで大人気の彼女だが、実力もここで示した。サーブ&ボレー、ドロップショットからネットプレー等混ぜる。特にバッククロスへ思い切り打ちきる。あとはどうなってもいいぐらいに振り切る。これがこのコートでは突き刺さる。新星登場!私が予測した通りになった!?
サンプラスが1Rからダントツの強さを発揮!彼が負けるとすれば、絶不調で相手がこの上なく絶好調、4時間を超えて、ものすごく湿気があって暑いことが条件だ!自分自身のプレーを見せつけられたら誰も敵わない。サービスゲームはほぼ完璧。サービスがいいのは男子では当たり前。私は彼の強さの1つはレシーブ力にあると思う。強くヒットしたかと思えばスライスで返球の緩急。足元やアングルを使うコースのコントロール。セカンドサービスに対するプレッシャーのかけ方。そして、その後のパスまでの流れ、全て一流。ピオリーンも突っ立って打ち感じだが、姿勢がよく軸がぶれない。今のフォニーニのよう。今季限りで引退のスティッヒも最後の雄姿を見せてくれた。引退と言えばあのベッカーも!?準々決勝サンプラスに敗戦後、握手をしながら一言。エッと驚いた様子のサンプラスの表情から私はそれを読み取った。メディアに発表する前に王者サンプラスにまず言うなんて。負けるのを覚悟で考えていたんだろうな。王者から王者へ引き継いでいってくれとね!
数多くのグレートマッチ。チャン対ウッドブリッジ(チャン、ファイナル1−5の絶体絶命から決して諦めずに一時6−5と挽回。ダブルス名手ウッドブリッジも不屈の精神力で勝利、ベスト4。先の全仏でもラフターがベスト4とここ1,2年オーストラリア勢が力をつけている。ウッディーズはダブルス五連覇を達成!エースを狙え!で見たテニス王国復活か?)ヘンマン対ハーヒュースのファイナル14−12。地元ヘンマンとルセドスキーへの応援は異常!相手がかわいそうになり、思わず対抗して応援してしまう。2人のベスト8入りにイギリス中が狂ったように盛り上がった。SFスティッヒ対ピオリーンも白熱。日本ジュニアも負けずに森上(ベスト4)、寺地、藤原、井上も頑張った。光が一筋見えて来たぞ!彼らの眼は確実にこの場所を見ている。こういう素晴らしい試合があるから手ニスはたまらなく面白い。

アカデミアインターナショナルデテニス(フレンチオープン2連覇のブルゲラ) バルセロナ・スペイン 鈴木さん
ロンドンからバルセロナまでいつものごとく電車。中川さんの知り合いの鈴木さんを紹介していただいた。突然なので泊めてもらうことは叶わなかったが、食事や他のテニスクラブにも連れて行ってもらった。テニススクールには何度もFAXを送ったが返事がないので直接乗り込むことにした。住所を頼りに行くが、本当にここなの?というぐらい山の中。上までやっとのことでたどり着くとテニスコートが急にたくさん現れた。クラブハウスで「ブルゲラのお父さんに会いたい。ここでしばらくコーチをさせてもらいたい。何回もFAX送っている。」旨を告げた。しばらくして、ニコニコしながらヘッドコーチらしき人が応対に。ルカと名乗った。私の英語で書いたプロフィールをサッと見て、「OK!カモン!」と。「エッ!?大丈夫?」とこっちが疑うほど。よく簡単に受け入れるよ。他人事ながら感心。日本ならこうはいかないだろう。バンダミーアさんもそうだが、皆懐が深いという感じだ。あとでわかったことだが、このルカという人はとんでもない選手だった。まず、クラブハウスの中を簡単に案内してくれた。コートを手作りで作っている写真が貼ってあった。山を切り開いて、コートを整地して、ライン書いて、ネット張って。そういえば上のコート、センターベルトがなかったなあ〜!それでサテライトの試合もさせられたのもスペインだった。伝統か!?一通り案内してくれた。大勢の肌の色の違う選手、コーチ、スタッフらがいた。「宿泊は見ての通りいっぱいなので泊めることはできない。その代わり、ランチはジュニア達と一緒にたくさん食べて。」と言われた。それだけでもありがたい。「今日からできるかい?」ルカが聞くので「もちろん」即答した。コート1面にジュニア4人が原則、これはアメリカでも同じ。つたない英語と身振り手振り、そして得意のコートに図を描いて、自らコートの中に入って動く。そうするとほとんど通じた。これが森下流だ!アフリカ系の選手が多いので聞くとモロッコから来たという。モロッコは行ったことがなかったなあ〜!この時期、100人を超えるジュニア達が集まっていた。皆、興味津々でニヤニヤしながら私を見つめてくる。この目には2つの意味があることも長年の経験でわかっている。着替えてコートに行く。ルカが皆、集まれ!と優しい声で言う。何、なに、どやどやと集まる。皆、外網に体を預けてだらしなく座る。私もそれに習ってジュニア達の横に。人数が半端ないのでほぼコート1面の周りに円ができた。何か?スペイン語でしゃべっている。どうやら斜め前に動いてチャンスボールを打ち込んで、斜めに下がってムーンボールを打つ。さらに逆の斜めに動いて打ち込み、また逆の斜めに下がってムーンボール。これを繰り返すらしい。「じゃあ、やってみせるよ。」と彼が打ち出した!?1球フォアのチャンスボールを打った瞬間、私は飛び上がった!?イヤ、姿勢を正したほど!?これぞプロフェッショナルのボール!?すぐわかる。インパクトの速さ、スイングのスムーズさ、ど真ん中に当たる音、ボールの飛び方、サッと後ろに下がるフットワークの身軽さ、片手バックもすごいが打つまでもなく素晴らしいのがわかるほど、日本人ではこのショットは打てない。「おいおい!あのコーチすごいな!?」隣のジュニアに話すと「そりゃあ、そうだよ。元世界40位まで行っているもん。スペインのデ杯優勝メンバーだよ。」「え〜!?」たまげた〜!?こんな田舎の山奥でこんな人が・・・。ニコニコして頼りないルカが・・・。人は見かけによらないにもほどがある〜!?一気に私は尊敬の念を持って彼に接するようになった。他にもオレンジボールで優勝したことがあるスペイン人コーチが3人もいる。どういうこと?1人でもすごいのに3人って!?私には英語のできるジュニア達がいいだろうと最初はそのグループに。皆、しかし、途中から関係なく、スペイン人だけ、モロッコ人だけ、フランス人だけ、当然のごとく入れて来た。いつもの通りである。このコーチ大丈夫か?という不安視の顔も見飽きたよ。大丈夫、自信を持って笑顔でこたえるところからレッスンはスタート。最後には「ヤス!他のどのコーチよりも一番いいよ。」と言ってくれたのはすごく嬉しかった。
2日目の夕方、全体練習をして、皆それぞれ部屋に戻った。ルカが1人の男の子を連れて奥のコートに入った。名前を聞くとカルロス・クアルラード、12歳。小6だ。ナイター設備がないのでドンドン暗くなる。さすがルカ、引退しても強い。しかし、このジュニアメチャクチャ上手い。2人のラリー戦が凄まじい。ルカが一切手を抜かずにやっているのはポイントを取るたびに「バーモス!」と声を出していることから伺える。カルロスも負けてはいない。小さな体全体でフルスイングして立ち向かっていく。真っ暗闇の中、重く鈍い当たりの音が響き渡る。7−5ルカ。内容の濃い試合だった。ほとんど見えないぐらい真っ暗闇の中、観客は私1人。これがスペインの実力!?こんな山奥だぜ!?ブルゲラには会えなかったが、スペイン旋風を引き起こすわけがわかった!?

第6回世界陸上 アテネ・ギリシャ 取材&勉強 岡さん
プライベートレッスン アテネ・ギリシャ
鈴木さんに岡さんを紹介されてギリシャに向かう。今ならチチパスなど選手はいるが当時は誰もいない状態。その当時、日本大使館に勤めていた。日本人選手もギリシャの大会で何度も泊めているという。当時、テニスは全く知られていない国。ここに来たのにはわけがある。世界陸上があるからだ。織田裕二の・・・!?テニス以外にも他の一流スポーツのアスリートの共通点が必ずあると考えている。会場に行くが、ものすごい暑さ。観客がほとんどいない。ポツンポツンと。どこの席でも当日買える。ちょっと拍子抜け。この暑さの中、当然のごとく、ストレッチ、ウオーミングアップなど皆、独自でキッチリやっている。いつも同じパターンで心も落ち着けているのだろう。ただ、お客さんがいないのは選手のモチベーションアップにはならないなあ〜!全ての競技、プロアマ問わず、周りの人に見てもらいたい、認めてもらいたいということでやっているはず。この認めてもらいたいというのは人間の根本的なものではないか?これにお金がついてくれば尚のこといい。
岡さんの家には「はじめの一歩」ボクシングの漫画が全巻あった。(2022年今現在も続いている。154巻1億冊以上らしい。人気があるということはそれだけ支持、共感できる部分が多いということ。)日本の漫画文化はそこから学べることがある。言葉のインパクトが絵とともに伝わってくるから。
岡さんは仕事を定時で終えると必ず、私をテニスに誘う。青山さんという方と一緒に。時には大使館の方たち、地元のギリシャ人の人たちとダブルスをメチャクチャ暑い中、プレーした。休まずにやろう、やろうという気持ちはその辺のプロ以上だ。ちなみに2人とは今でも年賀状など連絡を取り合っている。恩義が大切。
ギリシャはどこかのんびりした国。陸上100mで確かいい選手がいたが、テニスでチチパスのような素晴らしい選手が出てくるとは?
よく絵葉書にあるような島々に船で行った。ホテルはかなり高いので寝袋を持っていって、砂浜で寝た。かゆくて起きてしまったが・・・。朝食は海から流れ着いた玉ねぎをかじる。これだけ観光資源があるのに、このだいぶ後だが、国がデフォルトしてしまった・・・。

サルクハレン
クングルテニスハレン ストックホルム・スウェーデン
ボルグ、エドバーグ、ビランデル、ビヨークマンら多くの世界トップ選手を輩出したスウェーデンに昔から大変興味があった。高校生の時にテレビで見たインドアに赤土を引いて、そこでスウェーデンデ杯チームが優勝。ここまでして、ここまでできる国って?
物価が高い。税金が高いらしい。その分、老後の心配がないのがスウェーデン。他の北欧の国々もそうらしい。知らないことだらけだ。安いホテルがなくて大学の寮らしきものを見つけた。
ストックホルムオープン、インドアの立派な施設。雪に覆われることが多いのでインドアが多くある。ここで数試合、ビヨークマンなどを見た。例の私の成績が書いてある紙を持って3カ所テニススクールに行くが中に入れてもらえなかった。
中3の時、「テニスパートナー」というのをテニス雑誌で見た。車にかけるような丈夫なビニール製素材にテニスの半分コートの線が書いてあって、それを斜めに取り付ける。スウェーデン製でテニスコートにいくつも並べてあって、皆がそれに向かって打っている写真。衝撃的?「スウェーデンが強いのはこれが秘訣なんだ。」と思って、すぐに東京の輸入代理店に行く。そこは小さな店。確か15万円近くして、ものすごく高かった。かなり早い誕生日プレゼントとして買ってもらった。20キロ以上あって、体の小さな私にはきつかった。しかし、それを自分で持って帰りたいという気持ちが強かった。肩がパンパンに腫れて赤くなっていたのを覚えている。早速、公園に行って四苦八苦して組み立てた。パンと結構音がすごい!安定して上から転がってきて、下の木に当たって跳ねる。また、ストロークができる。ボレーは水平気味にして、連続ふちに当てる。こちらは少し技術が必要。子供たちがすぐにたくさん集まってきた。小さなスペースで練習できる画期的な発明だと思う。学園祭の時も教室に入れてきた女の子たちに教えた。私のものなのに他の下手な部員が教えていたのは納得がいかん?さらに誰か?上に乗っかって破ってしまった・・・。メチャ高価なのに・・・。しかし、やはり、トップを走る国は違う。
日本食が恋しくなって入ったお店。よく聞くと息子がアイスホッケーの日本代表という。すごい繋がりだ。
公園に行くと皆、裸で肌を焼いている。老若男女問わずだ?ビックリ?以前、オランダの海岸でも同じ風景を見たが・・・。日照時間が関係するのかな?

全日本ジュニア 取材&勉強 有明
一旦、日本に戻って観戦。

USオープン 取材&勉強 ニューヨーク
ラフター6−3,6−2,4−6,7−5ルセドスキー
ヒンギス6−0,6−4ビーナス・ウィリアムス

USPTRの試験 千葉 プロフェッショナル1ライセンス獲得
特別に値段ややり方も変えてあげますと言われてノコノコと日本に。しかし、まるでそんなことはない。全く皆と同じ。
マニュアル通りにやらないと減点。これが一番自分を苦しめた。レッスンも自分流にやらせてくれれば、最高のものを届けられるのに・・・。心が入り込まないといいレッスンができないことをしたのも得難いこと。完璧に頭に叩き込んでやっている他の何人かのコーチを見ても羨ましいとは思わなかった。点数はかなり高いだろうけど・・・。銀行のキャッシュカードを差し込むようにラケットを持って!これがサービスのグリップです!と。
しかし、点数を取らなければメチャクチャ高い料金が無駄になる。夜中にコートに出て泣く泣く練習した思い出!
苦しい3日間の合宿が終わる。

トヨタプリンセスカップ 取材&勉強 有明
フレイジャーに勝って、杉山愛選手の優勝ボールを逆シングルハンドで見事キャッチ?
前の日、車の中でなぜか?優勝ボールを受け取る感じがした。その後、後ろの女の子にそのボールをあげなさいと。お告げ?のようなものか?後ろを見るとはしゃぐ女の子。パッと渡してあげた。今から考えるともったいないなあ〜!
日本での初優勝だったからな。

JTAウーマンズサーキット‘97 $10000 茨城 金城里美選手
S32 D16
日本電池マスターズ 千葉 金城里美選手
S16
これは・・・。

プライベートレッスン 神奈川
以前SSCで教えていたジュニア、一般の方がこぞってレッスンに来てくれた。大切な収入源。川名テニスクラブ、大和テニスクラブなど以前の知人のクラブを借りる。

NTTデータチャンピオンテニス 取材&勉強
往年のレジェンドプレーヤーが終結。特に私の好きなイランのマンスール・バーラミ。一度見たら虜になってしまう!ボール何個持っている?10個か?それを起用に1つずつ打つ。背面打ち、股下ショット、座ってロブ、高いロブを自分のポケットに直接入れる。やりたい放題。でも楽しませる。究極のエンターテインメント?のちのちオーストラリアンオープンの会場で一緒に写真撮ってもらった。
昔の選手でも十分見るべき、学ぶべきところがある。
また、テニスは楽しい!楽しませる!エンターテインメントということを教えてくれる!

プライベートレッスン タイペイ・台湾
一番お世話になったフーさん、陳おばあちゃんに会いに行く。陳さんは若い頃、日本軍に日本語を教えてもらったらしい。あまりいい思い出はないのかな?と聞くとそうではなく、言葉だけでなく親切だったと言ってくれた。だから、私を始め、日本人に優しいのか?台湾にいるとそう感じることが度々ある。ウェルカムの雰囲気がある。あの美味い懐かしい辛うどんをご馳走になる。息子やその友達など集めてくれてプライベートレッスン。小学生で小さかったのが、立派に成長。マスターズではお医者さんの家に泊めていただいたので挨拶に行ったが、離婚されていて少しいたたまれない気持ちに。

ボルボウーマンズオープン パタヤ・タイ
ビッグKの畠中先生小畑選手と占部選手のツアーコーチを頼まれた。2人とも20歳でまだツアーには多く回っていない状態。
ツアー予選で2人とも単複予選1R負け。厳しい現実を見せつけられた。試合会場はそのホテル内。ホテルのトムヤムクンが美味しくて、毎日3人で食べていた。さすが本場だ。また、主催側が選手やコーチ達を喜ばそうといろいろな趣向を凝らしてくれた。今現在はどうなっているのだろう・・・。もうやっていないかもしれないなあ?像に乗ったり、船に引っ張って気球に乗って空中散歩もした。
この頃、2人はまだ20歳。ツアー経験も少なく、練習、トレーニング、食事、ストレッチなど全てにおいて少し不足しているようだった。ただ、皆選手もコーチも少しずつこうやって経験しながら覚えていくものなのだ。先輩日本選手、世界トッププロ選手から貪欲に学ぶ。
今でも覚えていてショックだったのは試合に負けた選手に「なぜ?あそこでトイレットブレーク取らないの?相手のペースを乱すためなら何だってするのよ。」とコーチが選手に堂々と言っていたことだ。エッと思って二度見、二度聞きしてしまった?今のアルカラス、シナー、オジェアリアシム、エチュベリーらマナーのいい選手が聞いたらどう思うだろうか?

小畑沙織選手 WTAランキング223位  JOPランキング13位
S予選1R D予選1R
占部奈美選手 WTAランキング488位 JOPランキング26位
S予選1R D予選1R

ウーマンズサーキットチャレンジャー$25000 ヌリオッパ・オーストラリア
その後、オーストラリアに飛ぶ。湿気のある暑さから乾燥した暑さに。ヒリヒリする。やはり、ツアー大会からチャレンジャー大会になると一気にランキングも下がり、レベルが明らかに落ちる。しかし、こういう大会でしっかり稼ぐことが大切なのだ。大会を選ぶことも大切。

小畑沙織選手
S32 D16
占部奈美選手
S1R D16

オレンジボール 取材&勉強 マイアミ・フロリダ
昔から有名なジュニア大会。私がテニス始めた時も雑誌に載っていたし、マンガ「フィフティーンラブ」にも載っていた。グランドスラム大会の前にここをジュニアは皆通過していかなければならない。中学の時に見たスマッシュに海本洋平が14歳以下でベスト8という記事を覚えている。その雑誌で見た彼と何回も対戦することになる。
まさにここがジュニアの登竜門。グランドスラムジュニアと合わせて5大大会。今も昔もここで活躍して、世界のツアーにデビューするのだ。
当時、日本ジュニアはなかなか勝ち上がれなかった。

インターナショナルテニスアカデミーオブテニス タンパ・フロリダ
USTAプロフェッショナルの試験 全てオールAで見事プロフェッショナルライセンス獲得
ホップマンテニスキャンプから車で1時間ぐらいかな?ここでもレッスンさせてもらった。渋沢コーチがいろいろお世話してくれた。男子中学生の生徒ブラウンの家にホームステイさせてもらった。朝はケロッグ、コーヒーは飲み放題。妹もいて4人ともやさしくしてくれた。USTAプロフェッショナルの試験の勉強。必死で覚えた。日本語でも大変なのに英語で暗記するところももちろんあるのだ。何しろ問題の英語がわかるのか?不安だった。1週間して試験の日がやって来た。プライベートレッスン、グループレッスンはそこの生徒達がものすごく協力的にやってくれたので本当に助かった。自己紹介、レッスン中ももちろん英語で励まし、説明する。試験官がずっと見てペンを動かしているのが気になる。そして、問題の筆記試験。しかし、私は日本人というので辞書だけ持ち込んでいいと言われた。時間も特別伸ばしてくれて3時間半ぐらいか?必死で問題を読んで、裏まで書いて頑張り具合を示した。中高で覚えた最後の粘り技だ。これが功を奏したのか?なんと全てオールAで見事プロフェッショナルライセンス獲得。そこのヘッドコーチは自分の考えをかいたものだからBということだった。日本でもアメリカでも自分を通すとこうなるのかなあ!?
帰りの飛行機代は元テニス選手の航空会社の社員用の安いチケットを利用。空いていれば乗れるが、空いていなければ乗れない。しかも、その日その場にいてカウンターで申し込む。
しかし、このマイアミからシカゴ経由の成田行きがなかなか取れない。毎回、満員。カウンターに行く度にNO!1日10便近くあったと思う。来る日も来る日も・・・。ナント5日間も同じマイアミ空港にいた?あとで知ったのだが、アメリカンフットボールのスーパーボール開催で全て満員だったのだ。4日目にまたダメか?と空港のいつもの隅っこで寝ようとしたら、掃除の黒人おばさんが寄ってきて、5$出して「何か食べな。」と渡してくれた。よほど貧しいと思われたのだろう。ヒゲも伸び放題だったからな。5日目になるとこのチケット、本当は偽物なんじゃないか?と疑い始めていた・・・。

1998
大谷テニスプランニング シドニー・オーストラリア
何とかマイアミ→シカゴ→成田→シドニーまでやってきた。また、2人のベビーシッターをしながら大谷さんの家に泊まらせていただく。ここでテレビのテニスの試合を見ながら、テニスノートに書く記号を初めて決めた。それまでは字でイチイチ書いていたが、記号で簡素化した。竹内さんにわかりづらいなあと言われたのがきっかけ!ショット1つ1つを書いて、気づいたことを→でプラスする。これが私のオリジナルの勉強法?多くの人がパッとそれを見て、何かいてあるか?わかんね〜?とかこれ意味あるのかね?ってうるさいよ?そな目先の利益だけで見てねーつーの?気づきはどこで生まれるか?わからないからね?成功もしていない人が言うなつーの?まあ、成功した人はこんなこと言わないけど。

アディダスインターナショナル 取材&勉強 シドニー・オーストラリア
澤松奈生子選手の試合を見た。やはり、遠征慣れというのは大きい。男女共に予選のレベルが高い。やはりオーストラリアンオープン前哨戦ともなると、自ずと一番レベルが高くなる。
ここで皆、調整するのだ。決勝に行くと逆に全豪初日が慌ててしまうのもある。

オーストラリアンオープン 取材&勉強 メルボルン・オーストラリア
男子優勝。コルダ6−2,6−2,6−2リオス
コルダ、細くてニワトリのイメージ。手足が長く、その分片手バックが遠くから打つ感じに見える。現在、息子が30位前後。当たると上の選手に勝つが、まだ安定力が足りない。
リオスは15歳ジュニアトップだった頃、SSCに国際ジュニア大会に来た。私はペットボトル係だったが、日本一増田健太郎とファイナルセットをしていた。態度はジュニアらしからぬ、チリのリオス。一目で生意気だとわかる?南米の奔放さが出ている試合運び。初めて見た時は何が上手いのか?ちょっと瞬間にはわからないが、リラックスしてボールの扱い方、ショットの選択、早いタイミングの取り方など。このあたりが相手は読めず、思い通りのプレーができなくなるのだろう。身長は他の外国人選手に比べ低く、日本人に近い。人を食ったようなプレーは大いに参考になるのでは?

女子優勝。ヒンギス6−3,6−3マルチネス
やはりヒンギス。やる前からストレート勝ちは決まっている感じ。あとは試合内容とスコアのみ?相変わらず頭のいい、クレバーなテニス。なるほどね!といちいち納得するポイントばかり。他の選手は強く打つことだけに専念する中?やはり見ていて楽しいワクワクするテニスをしないと?試合を見に来てお金を払ってくれる観客のために?

ビル・ダーハムテニスアカデミー ビクトリア・メルボルン
ボブ・ブレッドさんの友達のビル・ダーハムさんのところのテニスクラブに行かせてもらった。周りには家もマバラ。広大な敷地。コートは6面あり。生徒は1日1人か?2人。よくこれで食べていけるなあ〜とその時は思った。尚且つ何もない場所に連れて来てもらって、「ここにインドアテニスコートを作るつもりなんだ。」と。ここに作っても・・・。言葉には出さなかったが・・・。やはり、自分の土地があるのはいいなあ〜?夢は広がる?ただ、その後、人を雇って、経営し続けるのは大変?やってみてわかること。ただ、ビルさん一家は人柄がいいし、心が広い。すぐに受け入れてくれるだけでも。

クープステニスアカデミー(USオープン2連覇ラフターの出身アカデミー) ブリスベン・オーストラリア ハーラー家
そこから当時チャンピオンラフターを輩出したところはどこなんだろう?という興味で行った。あまり上手いジュニアはいなかった。そのジュニアの家族のハーラー家にまた泊めてもらう。夜、「フェイス」を見たのを覚えている。ハードコートがズラッと並んでいる。

NTTジュニア(14歳以下)ナショナルテニスチーム合宿の特別コーチとして
日本に戻ってSSC同僚だった笠原コーチに頼まれて臨時コーチとして呼ばれた。以前SSCにいた頃のアカデミー生(添田豪、和田太一)もいる。ホップマンの櫻井コーチ、専修大学の佐藤先生も。私の講義の時間も与えられた。サテライトの経験を語る。彼らの方が実力は上だが、本気で世界に行くならばと熱い想いをぶつけてみた。日本のトップジュニアはやはり他の選手よりボールの扱い方が上手い。しかし、それだけでは世界に通用しない。その扱い方も尋常じゃないレベルだからだ。

専修大学女子チームの特別コーチとして王座優勝に導く
伊勢原の練習、白子の合宿に同行。飛びぬけた選手はいないが総合的に集まっているイメージ。私が半面ボレーに立つとやはり少し離れたボールを追わない、追えない。やはり、学生トップ選手でも加減しないといけない。それでも後半ついてきた。その後、全日本学生団体戦決勝、いわゆる王座を制覇したのは言うまでもない。

4月
充分コーチ修行、勉強をしたと自負して意気揚々と選手からツアーコーチの要請を待つが・・・。なかなか、簡単に上手くいくものではない。かなり自信があるのだが・・・。
プライベートレッスン、町田ローンテニスクラブや藤原テニススクールの特別コーチとして生計を立てる。
これではいけないと思い、テニスコートを同時に探す。自分で小さいうちから育ててそのまま、海外に行こうと考える。

ロシア・ソチ
小畑選手から再びオファーがあり、ツアーコーチとしてついていくことになった。ビザを取りに行くのが最初の仕事である。やはり国によってビザの有無、また時間が大きく異なる。当時そのビザブックを何故か?持っていた?今、売っているのだろうか?これは便利。申請の有無、申請場所、費用、かかる時間、ビザの期間など。モスクワでトランジット、そこでどうしても食べたかったピロシキを買う。ソチに到着、ロシアのリゾート地の1つらしい。2014ソチ冬季オリンピックがのちに行われた場所。日本選手は長塚京子、宮内真澄らがいた。一流ホテルなのだろうが、売店には人はいない。売っているものも歯ブラシと歯磨き粉、石鹸、シャンプーが1つずつしか置いていない・・・。衝撃的だった・・・。大会はそのホテルの敷地内のテニスコートで開催された。結構な下り坂だった。観客は多くなかった。

ウクライナチャレンジャー
シングルス ウクライナの左利きの選手。確かタタルコワ?ショット、特にフォアがずば抜けている。優勝?そのまま、ウインブルドンでも初戦を突破していた?その後、最高位シングルス45位、ダブルス9位(ウインブルドン準優勝)。ずば抜けているのはすぐにわかる?何よりボールの捉え方、真ん中の当たり方、飛び方まで明らかに違うのだ。
ダブルス 小畑沙織・柴田薫 優勝?シングルスは2人とも負けてしまったが、ダブルスで組んで見事?柴田選手にはSSCから早川コーチがついてきていた。初めての遠征で常に高ぶっているのがよくわかる。浮ついてしまうのだ。コーチが浮つくと選手にもそれが伝わる。気を付けなければ?自然の中で美しいテニスコートだったと記憶している?それが今は・・・。

ウインブルドン予選
畠中コーチの知り合いの家に皆、泊めていただく。離れの家を貸していただき、冷蔵庫の中は全て無料で使っていいと言う。「ハイ?わかりました。ありがとうございます。」なんて言っていたが・・・。もちろん部屋代も頂かない?超親切で相当な太っ腹?その本人は「ウインブルドン本戦に入ったら招待券ちょうだい。」とだけ言っていた。カッコいい〜?イギリスはことのほか、他の国より高い。宿泊代だけでも助かるのに食事は自分たちで作る分にはいいと言ってもらえるのはありがたい。現地で応援してくれて、しかも家に泊めていただいたり、食事をご馳走になったりすることは多いはず。選手やコーチは必ず、後日お礼をしなければいけない。一番はその大会の招待券を渡して、来てもらうことだ。あとは年賀状や連絡をこまめにやり続けること。これがすごく大事なこと。
ウインブルドン予選は会場が本戦とは別の場所。これが近くて遠い。遠くて遠い?予選で負けた選手は本戦の会場すら知らないのでは・・・。岩淵聡選手や奥さん
らもいて写真を撮った。誰一人として本戦に上がれず。厳しい世界。
ワールドカップサッカー、日本対クロアチア0−1を現地で見る。グループ敗退。他の国の選手にバカにされていた。

ウズベキスタン
ロンドンからタシュケントに飛ぶ。小畑沙織選手。ツアー本戦で貴重な勝利を地元選手からあげる。サテライトで稼ぐよりもツアー1勝の方がポイントは一気に稼げる。ウズベキスタンの人々は日本人とよく顔が似ている。親戚なのでは?ホテルの食事はさみしいものだった。しかし、選手たちは会場に向かうのにナントパトカーが先導してくれた?この大会で優勝するとアジア1位として来年の全豪オープン本戦にワイルドカードがもらえる。この大会はすごくチャンスが多いのだ。オーストラリアから90位の選手も申し込みしていた。そこで「なぜ?日本女子選手はこんなにも世界トップ100に入っているのか?どういう練習をしているのか?特別なジュニア育成方があるのか?」矢継ぎ早にそのコーチから質問が来た。私は「それは個人個人が頑張っている。地方の一個人経営のテニススクールのコーチ陣が頑張っている。これが基本的です。」エッ?とてもビックリした様子の相手コーチ陣。

森下泰プロフィール3        <森下 泰>