森下泰プロフィール2

<森下 泰>

1990 (株)リコーに入社
その前の2か月のサテライトツアーが忘れられず、「辞めさせてください」と入ったばかりの5月に頼みにいく。幹部たちに「前代未聞!」と怒られテニス部存続の危機に。「とりあえず1年いろ!」とのこと。常識ある人間なら1年でそのバカみたいな夢は覚めるだろうと思っていただろう。私はその間にお金をタメて強い気持ちは変わらないことを示そうと決める。
研修でファックス工場に。同室になった同期にエコーズの歌(夢を夢で終わらせないために俺は今、走り始めた♪)を教えられて感銘を受ける。今の自分の姿を後押しするような歌。工場では毎回同じ動作を10時間。そこでも話しかけて楽しむ工夫をした。
初めての会社に飛び込み(いきなり行って契約の交渉)をやって1日で150件以上、名刺をもらってくる。世界に行くのにこれぐらいの何ともない。丁度「勇気」を試すいい機会だ。ダントツのトップに。1件実際に契約を結んでしまう。
これが認められたのか?全然知らないパソコンの部署に配属になった。本当はもっと楽でテニスの練習や試合に出やすい部署になると思っていた。体育館でもらった配属先の紙を空中に投げて怒られた。
昼休み、20人以上公衆電話からその日の練習相手を探していた。練習コートや相手がいるわけでもなく、まして練習時間も皆と同じ勤務してからだから大変だった。やり切る。そのせいにしない。
メチャクチャ暑い夏の富山、北信越選手権Dパートナーが全身痙攣、救急車で運ばれる。
S見事優勝で全日本選手権出場を決める。ど根性のスライスで粘った記憶が。
全日本選手権1R負け
日本リーグSD共にNO1で出場 3位に押し上げる。
もうこの時には右肘が痛くてたまらなかった。
3月後半、リコーテニス部に最後の挨拶へ。帰り、高速で暴走族のリーダーにあおり運転をされて事故しそうになった。今ならヤツは完全に逮捕!

1991 4月 夢を諦めずに有言実行のため、退社
すぐにアメリカフロリダのホップマンテニスキャンプ(当時はニックボロテリーより有名でのちに松岡修造選手も在籍)へ練習しに行く
自分では申し込んだつもりがそうではなかったが、その場で交渉して練習
メチャクチャ頑張ったが、アルバロ・ペッタンコ(松岡修造のコーチ)にレイジーと言われてショック。こんなに走ったのに。
5月 どうしても試合がしたくなって、急遽ユーゴスラビアへ。
治安が悪いから皆来ないだろうと思ったら、レベルが超高くてビックリ!

スペインサテライト
やはりヨーロッパのスタートはここから。とうとう帰ってきたぞ。またレベルが上がっている感じがした。

ポルトガルサテライト
3週連続同じ場所でサテライト
そこで地元ポルトガル対オランダのATP50位ハーフュースのデ杯戦を見たが、またもやレベルの違いにビックリ

トルコサテライト
1週目 イスタンブール 予選決勝石井弘樹プロ(JOP10位)ファイナルセット勝ち、初めて本戦入り。
マスターズ Sベスト16Dベスト8
初ATP獲得 いつもは1ポイントごと声を出していたが、ここでは我慢
S勝てばATP負ければ0点。相手は地元トルコの英雄。応援団は周りの柵に登って、太鼓を持っている。私がミスしたり、DFしたら、叩いてビビらす。これにじっと我慢して黙々とS&Vの勝負。ファイナルセット、最後のマッチポイント。セカンドS&BDVを決めた瞬間、「オー!」と大きな声!!
SはATP2点(950位)、DはATP5点(900位)を初めて取って、まずは夢の一歩、世界ランキングをゲット!

ブラジルチャレンジャーに挑戦(サテライトの1つ上の大会)
金奉洙(きんぼんす)選手、古庄大二郎選手に会う
予選1R940位に7−6,6−3で勝利
予選2R277位に1−6,1−6で敗戦
WCで全豪、全仏、USオープンを4度優勝の39歳鉄人ビラスがいた

台湾・香港サテライト
安宿に泊まってダニに噛まれる。
テニス協会副会長の?(フー)さんにいろいろお世話になる。ボールパーソンの子供達とご飯食べたり、屋台の牛肉麺(辛い肉うどん)が旨くて何杯もおごってもらった。
しかし、日本とは違いあまりにも暑い台湾で部屋に置きっぱなしの腐ったオレンジジュースを飲んで、超下痢。?さんの息子ということで病院へ。
マスターズS勝てばATPポイントたったが、腹痛のせいでアフリカの大したことない選手にファイナルセット負け。悔いが残る。

中央アフリカ(ザンビア、ジンバブエ・ナミビア)サテライト
当時エイズが流行っていて非常に怖かった。ザンビアの空港にたまたまいた日本大使館の西村さんに話しかけてその日は家に泊めてもらった。
家には鉄拍子など防犯対策がすごかった。治安がメチャクチャ悪いらしい。
第2週ナミビア、村上武資プロ(当時JOP20位)に6−2,6−4でストレート勝ち。日本では自信がないが、周りが劣悪な場所なら誰でも勝てる気がしていた。
イギリスのナショナルチーム(その年、ウインブルドンでイワノセビッチに勝ったニック・ブラウンS100位D56位が引き連れてきた)が来た。
ニック本人にその中に入れない一番下手なイギリス人と組んでくれと言われて、必死に戦ってマスターズへ
しかし、最後に裏切られて違うペアと組まれた。思わず胸倉をつかんで殴る素振りを。
短パンからパンツがはみ出た全くやる気のないアメリカ人と組んで1R負け
Sも2R負け
SはATP3点。DはATP5点
もっと取れたと反省

バングラデシュ・パキスタンサテライト
バングラデシュの空港に降りた瞬間、何十人の人達に囲まれて物乞いをされてビビる。
練習中に頼んでもいない裸足の子供たちがボールパーソンを。しかし、隙を見てバッグからお金を盗もうとして油断ならないやつらと思う。
練習不足でケニー(アメリカ)ATP5点にファイナル負け。
ケニーは前日その子供たちにテニスを教えていて大人気。全員が相手の応援だった。
負ける相手でないのにカッカしてしまった。
ダブルスパートナーはいつものイタリア人パストーレ。
イタリア人には珍しく気は優しくいいやつである。
しかし、同じイタリア人のやつに負けた腹いせなのか?殴られた。
そいつは強制送還。こわ〜!
2週目ラシャヒという街はすごい!空港を出たらすぐに田んぼ道。
ここに1つしかないホテルはシャワーでお湯が出るのは4部屋のみ。
しかも、その部屋でさえ、お湯が出ない。レセプションに電話。お湯が出ないと言ったら、部屋をコンコン。行くと少年がバケツにお湯を入れた状態で立っていて、40円と。ビックリ!もったいないから手でピチャピチャと洗う。インドの15歳ブパシがいつも一人。かわいそうなので一緒に練習に入れてやった。世界ジュニアランキング15位って言っていたけど、バックが少し上手いぐらい。試合しかが1ゲームも取られなかった。それがナントダブルスでグランドスラムを何度も獲って、世界NO1になった。あとでそれを言うと覚えていないと。え〜!あの時の恩を忘れるなんて・・・。
3週目パキスタンのラフォーレ。
芝生のコートで20回以上ダイビングボレーをしたら、地元の新聞に「日本から来たミスターフライングマン!」と写真入りで大きく載った。
パキスタンのデ杯ペアに3度目の正直で勝利。ベスト4へ。
マスターズダブルスでまたもやデ杯ペアに勝利。通算2勝2敗。もうお互いに暗黙の了解でやるつもりだったのがおかしかった。ベスト8でATP6点ゲット。

1992 1月
オーストラリアンオープン予選
場違いとわかりつつ、夢のグランドスラムに申し込む。申し込みと言っても世界ランキング(ATPポイント)がなければ申し込むことすらできない。5ポイント(ATP850位)。申し込みの名前がズラーと書いてある。トップのサンプラス、エドバーグ、レンドル、マッケンローなど。柱の角を曲がってもまだある。無理かと思ったが、ナントギリギリで入れた。申し込みはものすごくたくさんいるが、実際にここオーストラリアに来てエントリーしないといけないのだ。
練習では日本ランキング3位の白戸プロと。日本ではやってくれない。
練習後、ロッカーで着替えていると横に見たことある顔が・・・。レンドルだ。
睨んでいる。何だ?このアジア人は?見たことないぞ!修造じゃないし・・・と思っているはず。サインをもらいたかったが、我慢して素知らぬ素振り。こっちこそ、知らねーよ、お前なんか。試合で当たったらボコボコにしてやるぜ!なんて思ったりして・・・。天下のレンドル様に対して。
予選1R第5シード141位ピーター・ルンドグレン(怪我する1年前は40位スウェーデンのデビスカップチームメンバー。あのエドバーグ率いるチームの。)
試合前にWOWOWが来て、「初めて来たのですが、全くわからなくて松岡選手や伊達選手を撮りたいのですが、その前に練習で撮ってもいいですか?」などと失礼なことを聞いてきた。もちろん、私の答えは「もちろん、いいですよ。」と。WOWOWなんて聞いたこともないし、何を喜んでいるのだろうと思った。何を隠そう今や天下のWOWOWさんが撮った最初のテニスプレイヤーは私、森下泰だったのです。後日、日本でそのビデオをいただけないか?とお願いしたところ、かなり高いと言われたが、行くと無料でくれた。ありがとうございます!今、私の家宝です。どこ行ったっけ?
日本男子選手はこの3人しか来ていない。しかし、女子は予選に10人以上ずらり。この時は意識の差がものすごくあった。

エジプトサテライト
膝の痛みと長旅の疲れのためか?貧血で着いた途端、倒れてしまった。
兄貴の幼稚園の幼馴染みの友達の家に食事に。ハッキリ言うと相手から全く知らない人が急に来た感じ。しかも、エジプトの日本大使館の人だった。
さらにその大使館の知り合いの方の家に泊めてもらうことに。
何十年ぶりかのものすごい砂嵐。練習していたが、バッグも砂だらけ、口の中がじゃりじゃりで水も飲めない。砂嵐で試合が中止になった。初めての出来事。部屋で休んでいた私はその方が帰ってくるのをわかっていたが、知らぬ間に寝てしまい、気がついたら朝方。ピンポンと鳴らされて出ると「どうしたの?昨日。ずっと鳴らしたけど出なかったから大使館で寝たよ。」と言われて「すみません。気がつきませんでした。」その方は熱が出てその日はお休み。しでかしてしまった。あちゃ〜!
2R15歳のドイツのクニプシルト。こいつはドロップショットがメチャクチャ上手い。私のファーストサービスをパッと切って、追いつけない。とってもすぐにロブボレー。舐められて腹が立つがどうしようもない。3−6,2−6の完敗。のちにシードを破って全豪ベスト16に入った。やはり強かったんだと納得。

セントラルアメリカ(エルサルバドル・グアテマラ)サテライト
エルサルバドルはその当時、内戦中。テニスクラブの外には銃を持った兵士達が大勢いた。よくこんな状況で大会を開くよ。
1R地元テニスクラブの35歳のオヤジにまたもやドロップショットからロブ攻撃にはまってファイナルセット負け。新聞に堂々と出てしまった。腹立つ〜!高校生の頃、あの鬼の松本コーチにドロップショットを拾う練習をさんざんさせられた。ダウンザラインへスライスで深くのみ。それ以外は怒られた。ドロップショットを打つなんてとんでもない。それが裏目に出たか?
第2週目のグアテマラに行くバスのガタガタの山道の道中、突然急ブレーキ。3,4人の兵隊が銃を持って乗り込む。全員、外に出されバスに両手をついて後ろ向きにされる。身体検査か?怖いなあ。しかし、私だけなぜか?車内に一人。こっちの方が怖いよ。突然、バーンとか撃たないだろうな。
第3週目のコスタリカは世界一美女が多いという魅力ある国。しかし、怖さが優って諦めて次にサテライトへ。

フィリピンサテライト
空港で会ったある5人家族が頼んでもいないのに、いいホテルを紹介するというので、ついて行った。途中から何か嫌な予感がするなあと思っていたら、やはり「案内代をよこせ!ミルク代をよこせ!」と言ってきた。最後の豹変ぶりはメチャクチャ怖かった。
やっと追い払ってから、すぐにホテルを変えた。乗り込んで盗まれる感じがしたから。
しかし、自分で見つけた安宿は湿っていて、クーラーがメチャクチャうるさくて眠れない。
練習試合6−4で勝ったフィリピンのアンジェロ。NO3と言っていたがたいして上手くない。この国はレベル高くないと思っていたら、彼が先日の日本とのデ杯で大活躍して、日本を破る大ヒーローになったのだ。
また、気心の知れたイタリアのパストーレとダブルスを組むが、なかなか勝てなかった。
今回の遠征で世界一周をしたのだが?
米沢徹プロと食事。テーブルに並べらないほど頼む。私より食べる人を初めて見た。

ドイツ(ニューレンブルグ)チャレンジャー
フィリピン後、右手首が痛くてラケットを握れなくなってしまった。またケガ。有名な針の先生の白石さん(マッケンロー、カール・ルイス、松岡修造、伊達公子などを治療。)にも診てもらったが、なかなか良くならない。
プールの中、平泳ぎで水を掻く、その抵抗だけでも響く。
私の一番の夢、ウインブルドンに出るには上のクラスオンチャレンジャーに出て、優勝して予選に引っ掛かるか?ワイルドカードをもらうしかない。
痛くてもニューレンブルグに。おもちゃの街だ。
いつもの通り、だいたいの地図を見て勘で探し、バスで行く。ドイツは日本と同じように時間に正確だ。
練習試合でジェミー・モーガン(200位、全豪本戦出場この後60位まで行く。)にクレーコートなのにウィナーを取られて、ほとんどポイントが取れない。
ミヒャエビック(450位)に2−6,6−4。予選カットオフは411位。グランプリレベルだ。彼が「この大会に出られなかったら450位も850位も同じだよ。」と言っていたのが胸に刺さる。
夜、マクドナルドに行って、注文しようとすると頭に何か?当たる感じがする。後ろを見ると17,8歳ぐらいの男女が7,8人ニヤニヤしている。バカにしやがって。

ステラアートイスグランプリ(イギリス・クイーンズ)
大きなグランプリに挑戦。ビビっている。
ペッチ(330位フランス)と練習後上がろうとしたが、そのコートにあの世界ランキング1位のエドバーグが入ってきた。出るのを止めてペッチの制止も振りほどいて、何か盗もうとストレッチをやり続けた。物ではない、技術やらその他のことだ。
ストローク、特にフォアが苦手と思っていたが、上手いぞ!そりゃあそうだ。世界一だもんな。ネットに出た。ナントドン詰めしてボレーしたと思ったら、右へ左へ、またデッドゾーンにも行く。前後左右、自在に動く。その間、ミスせず繋いでいるのが凄い。エドバーグはもちろん上手いが、相手のヒッティングしている選手も上手い。私は知らないが本戦だろう。
練習途中、二人は何か話している。泊っている先のホテルを知りたいらしい。エドバーグが私に「ペンを持っているか・」と聞いてきた。とうとう私を頼ってきたか?気前よく貸してあげた私は平気な顔をして、そのペンを大事にソッとバッグにしまった。
予選カットオフは419位。前年はATPポイント持っていれば出られたらしい。皆、その情報を持ってやってくるのだ。

マンチェスターグランプリ
安い宿を探していたら専門学校の寮をたまたま見つけた。イギリスは物価が高い。夕食を食べようと本を見ながら外へ出るとパンクのグループ4人が私を見つけてニヤニヤしている。「カツアゲ」だ。瞬時に判断した私はダッシュ。ナイフとチェーンを振り回しながら何か叫んでいる。ここでは書けない言葉だろう。走りまくって中華街に駆け込んだ。しかし、寮を出たところで見つかったから、そこで待ち伏せされたら一巻の終わりだ。勘弁してくれよ。
本戦第1シードボルコフ(16位ロシア)だ。やはりレベルは高い。ここでも予選は出られず、そのテニスクラブのコーチらしき人と練習。
TVで「おまえの友達がやっているぞ。」あのクイーンズで松岡修造が準優勝エドバーグ(2位)に1−6,7−6,10−8ファイナルセットで勝利。その前の準々決勝はイワニセビッチに6−4,6−3ストレート勝ち。トップ10に連続勝利。興奮してすぐにバスに乗って応援に行こうとした。
チケット代は一番安くて8000円。しかし、「俺は予選に出たものだが、友達の応援をしたい。スーパーバイザーに会わせてくれ。」とダメ元でだだをこねた。すると仕方ないといった表情で会わせてくれた。「おもえは予選に出られなかっただろう。」ばれている。大事な決勝戦の前にうるさいヤツだなと思われたのだろう。2枚チケットを放り投げてきた。空中でキャッチ。「サンキュー」中学高校の後輩の分までくれた。こういう粘りはあるのだが。
ナントコートサイドチケットだった。大きな声で応援したら「あまり派手に応援しないで。奈生子に内緒で来たんだから。」と澤松選手のお母さんに注意されてしまった。TVに思い切り映ったけど。決勝はフェレイラ3−6,4−6の惜敗で準優勝!しかし、修造は立派だ!ヨシ!俺も!

ウインブルドン
とうとう夢のウインブルドンに来た。しかも観戦ではなく、挑戦!チャレンジだ。
駅に着いて歩くとラケットバッグを持った外人が。パット・クラウン(240位アメリカ)に声をかけて練習をしてもらえることになった。幸先がいい。行っても練習ができない可能性もあるから。途中で選手のシャトルバスに拾ってもらう。「森キン」声をかけてきたのは辻野隆三選手。久しぶりの日本人だ。
アオランギ練習コート。試合コートとは違ってデコボコがあるが、私にとっては夢のようだ。伝統の重み、芝生の年月が感じられる。幸せだなあ〜!あっという間に練習は終わった。次の日もパットと練習の約束をした。しかし、次の日は来ない。隣で辻野選手も「ったく、画人は信用ならね〜」と叫んでいる。お互いにすっぽかされた同士練習をすることになった。さすが日本一のボレーヤーだ。芝生でさらに滑る。でも周りの外人はもっと上手く感じる。練習ゲームは全てブレークで1−2。
駅で杉山愛選手のコーチに「あなた、何しに来たの?」と言われてカチンときた。心配してくれたのだろうが「99.9%無理だと思ったが、0.1%にかけて挑戦しに来たんだ。ここに実際に来てサインする意味のわかるヤツいるか?」

オランダサテライト
ロンドンから電車、フェリー、バス、電車と乗り継いでオランダの田舎街ラルトに着く。
ホテルは高いので交渉して会議室に泊まらせてもらう。2000円以上値切った。シャワーはプールのを使えと言う。何でも構わない。安くなるなら。
オランダは男女共に身長が異常に高いのはどういうことか?明らかにサービスの差が初めからある。Sはレベルが高く勝てない。第2週目のハンバムでD本戦なのでホスピタリティが着く。良かったと思ったら人の家。とても親切なアルテス家にお世話になる。両親がパーティー、娘は遊びに行くというので初日から私一人。好きなものを食べていいと言われた。冷蔵庫には何もなかったけど。しかし、自分がいい人だからいいけど悪いヤツなら簡単に盗んでいくぜ!このアルテスさんには毎年クリスマス&年賀状を毎年送り続けている。恩義を大事にする私のやり方だ。

ニューキャッスルチャレンジャー(イギリス)
また、オランダからロンドンまで電車とバス。普通の選手ならもちろん飛行機だろう。しかし、6000円と安さにはかなわない。ロンドンからまたバスで3時間半、ニューキャッスルへ。5時間の待ち時間を利用して半乾きの洗濯物をバスステーションで干す。
予選1Rファイナルセットで勝利。イギリスの芝生で初勝利。午後2Rメーズ(302位)4−6,2−6で負け。身長190センチから繰り出すサービスに苦しめられた。その他はたいしたことなかったのに。もったいない。

トルコサテライト
昨年、初ポイントを取った相性のいいトルコに行く。オランダサテライトで一緒だったスーパーバイザーのローレンスに「あれっ?何でヤスシ、ここにいるんだ?」なんて言われて「何、言ってんだ?試合に決まっているだろ。」しかし、ローレンスはアルゼンチンサテライトのドローを見せて来た。ナント!メインドローに私の名前がある〜!どうしてオランダで教えてくれなかったんだ?しかも、罰金250$を払わないといけない。最悪だ。昨年、ポイントを取ったので、トルコしか考えていなかった。大きなミスだ!
そのショックから立ち直れず、ファイナルセット4−2の40−30から逆転負けするなどいいところなし。昨年の貴重な5ポイントを失った。
昨年泊めてもらったイスタンブールのテニスクラブのエマールの家に何泊かさせてもらった。エマールの家はプレハブで今にも壊れそう。しかし、お母さんの料理は相変わらず美味しい!日本でレストランを開いたら受けるはずだ。何よりも心、愛がこもっている。

エクアドルサテライト
首都キトのホテルで寝ていたら、ハアハアと息苦しくて眼が覚める。どうしたんだ?とうとう病気か?こんなところで。しかし、ここは海抜2800mと高地。テニスコートはオンボロバスでさらに山の上に。軽く触っただけでポカーンと飛んで行く。ストリングを5ポンド高くするが効果はない。入らないのが気になってフォアが打てなくなってしまった。
金子英樹選手が来ていた。先週コロンビアサテライトで30ポイント以上取って、ランキングを大きく上げて凱旋入りだ。この後、3年後95年全日本選手権優勝!
ダブルスを組んでもらったが、結果を残せず。
英樹との練習は球出しや手出しが多い。お父さんに小さい頃、こうやって教えられたらしい。
このレベルでもこういう基本が大事だと知った。パワーはないが、アイデアとプレースメントとコツコツしたつまらない練習で勝つのがすごい!
2週目、首都のキトから2時間、田舎街アバト。チリの味が濃い顔パブロが下痢の私を無理やり、安宿の食事処に連れて行かれた。そこで真っ暗になって「ハッピーバースデー〜!ヤスシ〜!」とたくさん集まってくれた。嬉しい〜!4人の女の子からほっぺにチュッと。
次の日、そのパブロと。トップスピンロブを抜いて「カモン!」しかし、背中を見せながら、足でザーと消しやがった。「アウト」だと。昨日のは何だったんだ?
英樹は急に山登りしましょうとか、ケツで滑りましょうとか、後ろに女の子がいると歩きながら片一方のシューズを脱ぎながら歩くとか、いろいろ遊びのアイデアが出てくる。これはプロ向きの性格だなあ!
何か?嫌な予感がして、エクアドルからキャンセル待ちの中、一番高いチケットを購入。家に戻ると父親から「破産しそうだ。遠征は続けられない。悪い。」と言われた。また、彼女からも同じ日に「ついていけない。」と別れた。1992年8月26日は絶対に忘れない。「当たり前と思うことほど怖いものはない。」
また、父親はそれでも顔を上げて会社に向かう。母親は「どうせ人間は裸で生まれてきたのだから、何もなくなったって、生きていれば何とかなる。」
ガーンとハンマーで頭を殴られた気がした。私もそれなりに苦しいことをバネに踏ん張って、頑張って、乗り越えてきた自信があったが。
「テニスもそうだが、人間にも上には上がいる。」
新宿で男が何かの腹いせに火炎瓶をバスに投げ込んで、全て乗客は焼死。1人だけ奇跡的に生き残った女性がその後、刑務所に服役する“その男”に「私はあなたが投げた火炎瓶による爆発で死にかけました。しかし、私はあなたを恨んではいません。どうか心を入れ替えて立派に更生してください。頑張ってください。」と手紙を送った。もし、同じ立場になったら、同じことが出来ますか?私はできません。
「上には上がいる。」

8月26日緊急帰国。バブルがはじけて家が大借金で大変なことに。ツアー継続不能に。尚且つ彼女ともその日に別れて人生で最悪の日として任命。
次の日からあらゆるテニスクラブに交渉。自分では豊富な経験があると自信過剰に。それが打ち砕けたのも事実。

森下泰プロフィール2        <森下 泰>